ヨシュア記16章1節ー17章18節「ヨセフの一族」

 

ヨセフの子らの嗣業

 創世記41章にありますように、ヤコブの子ヨセフは30歳でエジプトの宰相になり、エジプトの祭司の娘を娶って二人の息子をもうけました。その長男の名は「マナセ」であり、「忘れさせる」という意味のその名は、「神が私の苦労と父の家のことをすべて忘れさせてくださった」(51節)ということを表わしていました。次男は「エフライム」と名付けられ、「増やす」という意味のその名には、「神は、悩みの地で、わたしに子孫を増やしてくださった」という感謝が込められていました。ヨセフはヤコブの子らの中にあって下から二番目の息子でしたけれども、父の年寄り子でもあって特別な愛を受け、兄たちに妬まれた程でした。そして、歴代誌上5章が記すところによりますと、長男のルベンが父の名を汚して長子の権利を失ったことにより、ヨセフが代わってそれを受け継ぐことになりました。さらにヤコブが臨終の床にあってヨセフの子らを祝福するに当たっては、マナセとエフライムを自分の子とすると宣言して、弟のエフライムにより大きな祝福を与えました。そうして、マナセとエフライムは各々がイスラエル12部族の一つと数えられるようになり、エフライムはその長子として、イスラエルの中心に位置するようになります。

 16章は、このヨセフの子らに対する嗣業の土地の分与について記します。そして、最初にエフライムの領域が取り上げられます。新共同訳聖書の巻末にある地図の3番を見ていただきますと、エフライムの土地はユダの北部に位置づけられ、イスラエルの中心にあるのが分かります。ユダとの間にはベニヤミンとダンが挟まれるように記されていますが、ベニヤミンの領土はむしろユダの一部であり、中央にあるダンの領土はエフライムに含まれます。ダンの領土といえば、通常は最も北にあります。このエフライムより北の領域が後の北イスラエル王国の領土です。

 エフライムの領土は中央に山地をいただいており、地中海に向けてゆるやかに平野が広がります。イスラエルの父祖ヤコブが「天からの梯子」の夢を見て、石を建てて聖所にしたという、ベテルの聖所がベニヤミンとの国境ぎわにあり、また、この後、イスラエルの中心的な聖所となるシロの聖所が中央にあります。

 マナセの所領については続く17章に指定されています。マナセの子孫には「ギレアド」が含まれますが、五書ではマナセの所領に含まれる地名でもあり、ヨルダン川東岸に与えられたマナセの半部族が「ギレアド」と呼ばれます。そこから後に士師エフタや預言者エリヤが輩出される名高い地方もしくは部族です。

 新共同訳聖書の地図ですとカルメル山を含む地域がアシェル族の領域に入っていますが、正しくはカルメル山の向こう側を境界線が通って、半島の部分もマナセ族に属します。カルメル山はエリヤがバアルの預言者たちと対決した山で有名です。今ではその山頂に修道院があり、入り口前の広場にはエリヤの像が建っています。麓にはイスラエル第三の都市ハイファが広がり、そこからロープウェイでカルメル山に上ることができます。

 マナセとエフライムの境界沿いにはシケムがあります。これも地図を見ますとエフライムに属するようになっていますが、正しくはマナセの領域にあります。シケムもまた北部を代表する重要な町で、後にはヨシュアがそこでイスラエル全部族と契約の更新に臨みます。

ツェロフハドの娘たち

 17章3節と4節に加えられています「ツェロフハドの娘たち」に関する記述は、民数記27章に基づいています。その5名の娘たちには男の兄弟がいなかったために父の嗣業を受け継ぐことができませんでした。そこでモーセに訴え出たところ、彼女たちに嗣業の土地を与えることは正当だと認められています。この事例から、嗣業の原則が次のように定められることになりました。民数記27章8節以下です。

 あなた(モーセ)はイスラエルの人々にこう告げなさい。ある人が死に、男の子がないならば、その嗣業の土地を娘に渡しなさい。もし、娘もいない場合には、嗣業の土地をその人の兄弟に与えなさい。もし、兄弟もない場合には、嗣業の土地をその人の父の兄弟に与えなさい。父の兄弟もない場合には、嗣業の土地を氏族の中で最も近い親族に与えて、それを継がせなさい。主がモーセに命じられたとおり、イスラエルの人々はこれを法の定めとしなさい。」

神から賜った嗣業の土地は、それぞれの部族が責任をもって受け継いでゆかねば羅ならないことを原則に、子がなかった場合の例外的な諸規定が定められています。イスラエルにあって女子は家族の長になることはできないのも原則ではありますが、嗣業の土地を守ることにはより高い優先度がありました。ここにはまだ男女平等という考え方は見られませんけれども、共同体全体の目的を果たすためには、家督権に表れる男女の性差は重大な障害にはなっていません。

ただ、民数記36章11節以下では、ツェロフハドの娘たちの嗣業について次のように補っています。

 ツェロフハドの娘たち、マフラ、ティルツァ、ホグラ、ミルカ、およびノアは、おじの息子たちと結婚した。彼女たちがヨセフの子マナセを祖とする氏族の者と結婚したので、その嗣業の土地は、父の一族の属する部族に残った。

彼女たちと似たような状況が、ルツ記のナオミとルツにも当てはまります。ユダのエリメレク家の息子たちが死んで、エリメレクの家名と共に嗣業が絶えようとしているところで、モアブ人の嫁ルツの働きで、親戚であるボアズがそれを救う事になり、嗣業は守られたと『ルツ記』は記します。旧約聖書にあって「嗣業を受け継ぐ」ことはそれだけ重要なテーマです。

イスラエル入植の実情

 さて、17章12節と13節にこうあります。

  マナセの人々はこれらの町を占領できなかったので、カナン人はこの地域に住み続けた。イスラエルの人々は強くなってからも、カナン人を強制労働に従事させただけで、徹底的に追い出すことはできなかった。

これはユダの嗣業を述べるに際しても最後に言われていたことと共通します(15章63節)。エフライムとマナセの地方をヨシュアが占領したことは、ヨシュア記12章ですでに報告されていました。しかし、実際はイスラエルはカナン人を追い出すことができなかったので、王国時代に至ってそれがイスラエルの信仰の躓きとなった、ということになるわけです。ここには、何度も見て来ましたように、イスラエルの土地取得に関する二重の記述があるのでして、「カナン人を徹底的に追い出すことはできなかった」ことが、その一方である歴史的な実情を書いています。士師記の初めにもこの辺りのことが繰り返して報告されています。1章27節、

 マナセは、ベト・シェアンとその周辺の村落、タナクとその周辺の村落、ドルの住民とその周辺の村落、イブレアムの住民とその周辺の村落、メギドの住民とその周辺の村落を占領しなかった。そのためカナン人はこれらの地に住み続けた。

ヨシュア記17章14節以下に記されていることは、その辺りの歴史的な事情を知る上でとても重要な手掛かりを与えてくれます。書かれているところを読みますと、ヨセフの子らは最初山地に住み着いたようですけれども、人口の増加に伴って土地が手狭になり、新たな森林の開拓や平地への進出を試みるようになった、とのことです。けれども、平地に住むカナン人は鉄の戦車をもつ強力が軍隊があって、進出は容易ではなかったようです。今日の歴史家たちが古代イスラエルの歴史を書き記すに当たって、おそらくこれが最も妥当だと思われているのは、この山地から平野部への緩やかな浸透です。沙漠の遊牧民であったイスラエルの民は、パレスチナの山地にたどり着いて半遊牧生活へと定着し始め、徐々に都市部の勢力に対抗する力をつけるに至って、平野部へと進出し、土地を所有する農耕民族となっていきました。ヨシュアによる軍事的な征服を主張する学者も、都市部で革命が起きたのだとする社会革命説も他にはありますけれども、聖書が提出する幾つかの像からしますと、緩やかな浸透を果たしたとの説明が聖書の書き記すところからしても、考古学の明らかにするところからも無難に指示されます。

 問題は、そうするとヨシュア記12章までの前半で記して来た軍事的な征服や、カナン人を強制労働に服させたという記述はどのように理解されるか、ですが、後者の方はソロモンの王国時代の事情からくるものと容易に察せられます。士師記1章28節では、「イスラエルも、強くなってから、カナン人を強制労働に服させたが、徹底的に追い出すことはしなかった」とありまして、これは列王記上9章20節にある次のような報告に結びつきます。そこはソロモン王による支配の確立を述べている文脈ですが、20節以下ではこう記されます。

 イスラエル人ではない者、アモリ人、ヘト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の生き残りの民のすべて、彼らの後、この地に生き残った子孫で、イスラエル人が滅ぼし尽くすことのできなかった者を、ソロモンは奴隷として労役に服させ、今日に至っている。

カナン侵入を果たした後、イスラエルは地元の住民と戦って土地を獲得し、定着を計ってゆきます。そして、ペリシテとの戦いに臨んで12部族は結束するためにサウルを王に立てて国を興し、やがてユダに現れたダビデ王の力によって敵を退け、ダビデの子ソロモンのもとでイスラエル統一王国は完成されます。その時に至っても、イスラエルの支配の下でカナンの住民は土地に残り続けました。

キリスト教宣教のモデル

 ヨシュア記から提示されるこの二重の記述、ヨシュアによる征服の完了とイスラエル入植の歴史的実情とから、今日の私たちはキリスト教会の宣教とを重ねて見ることができます。すなわち、モーセの御言葉に完全に従った主の僕ヨシュアによって土地の征服が完了し、神の約束が果たされたのと同じように、神の律法に完全に従ったイエス・キリストによってサタンの支配は打ち破られたのであって、神の救いの約束はすでに果たされています。しかし、この世における罪との戦いはイスラエルが自らの手で土地を獲得しなければならなかったように、強大な力を誇るこの世の勢力にキリストの教会は立ち向かってゆかねばなりません。キリストの勝利を確信して、使徒パウロが世界宣教に身を呈して行ったようにです。イスラエルに示された嗣業の土地の境界線と、その内にある町々のリストは、神のものとして聖別するために分け与えられた具体的な地図を表わしています。キリストの教会に属する私たちにも、具体的な固有の生活領域が、それぞれの人生の中に、また教会に分け与えられています。ヨセフの子らは的の鉄の戦車を恐れて、嗣業の取得に手をこまねいていますけれども、ヨシュアは「敵は強いかもしれないが、きっと追い出すことができよう」と励ましました。それは、すでにイスラエルに語られていたように、神がなさった約束を果たすのは神ご自身であって、それを実行するように命じられた民には、それを成し遂げる力もまた与えられるからです。私たちが果たすべき宣教の努めは多くの障害に突き当たって困難ではありますけれども、信じるならば神が私たちを用いて、人々を神なきところへ追いやる諸霊を追い出すことができます。私たちに与えられた固有の嗣業である信仰生活・教会生活を守りながら、神の祝福を世に広める宣教の働きを諦めないで続けたいと願います。

祈り

天の父なる御神、あなたがヨシュアとその民を励まして、約束の土地を与えられたように、私たちをも霊において強めてくださって、あなたの御業を果たさせてください。人の力を恐れず、あなたのものではない世の霊を恐れず、果敢に罪の力に立ち向かわせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。