ヨシュア記15章1ー63節「ユダの境界」

 

ユダの境界線

 約束の地カナンはイスラエルの嗣業として獲得され、12部族に割り当てられることになりました。ヨルダン川の東側ではルベン、ガド、マナセの半部族が既に割当を受け取っています。残る9つの部族がヨルダン川西岸の地域を、くじによって分け与えられます。与えられた土地は主の嗣業です。それぞれの部族が、くじによって授かった土地を主のものとして聖別して、子々孫々に受け継いで行かねばなりません。モーセの律法に忠実に従って、その土地で信仰を守ってゆくならば、主が共におられることによる平和が、イスラエルの上に実現します。

 ユダ族の領土が初めに示されるのは、ユダが特別に選ばれた部族だからです。後にこのユダ族からダビデが現れ、ダビデによる王国が建てられます。ダビデによる統一後も、ダビデの王座は保たれて、「ユダ王国」が南北に分かれた二王国時代を歩みます。ここに詳細に記された境界線とその内に含まれる町のリストは、実際には王国時代に完成したもののようです。例えば、20節から32節に並んだ町々は全部で29と数えられていますが、実際に数えてみると35あります。つまり、後の王国の実情に合わせて名が加えられているわけです。そして、これだけ詳細に地名が挙っているのは、これを書いたのがユダの人間であるからです。他の部族に比べて領土が広いためにその名前も多いこともありますが、これはユダの支配する領域を出来るだけリアルに描き出そうとしたものです。私たちにはどうにも近づき難い地名の羅列ですけれども、ユダに暮らす人々にとってはとても現実的な地図であったはずです。これが、主が賜った嗣業の土地である、と示されます。

 今日のような箇所は言葉で説明しても如何ともし難いところです。前には聖書の巻末にある地図を開いていただきましたけれども、今回はそうもいきません。ここにある地名をすべて網羅したような聖書地図はかなり専門的なものでもそう多くありません。私が確認したところではイスラエルの学者が書いた注解書に記載された地図が最も役に立つものですが、すべてヘブライ語で記されていますからコピーしてお配りするのを断念しました。あるいは、今日のイスラエル国の地図が便利かも知れません。ここに出て来る幾つかの地名は、エルサレムにいた頃に見かけたことがあります。1節にある「ネツィンの荒れ野」はネゲブの沙漠にあります。現イスラエル国の初代大統領であるダビデ・ベングリオンが引退後に隠居したスデ・ボケルという有名なキブツがあります。今はネゲブの観光地の一つとなっていますが、そこにあるベングリオンの墓から「ツィンの荒れ野」が一望できます。深く刻まれた険しい山々が遠くへと連なって、その合間を枯れ川の谷筋が走ります。全体的に白っぽい風景なのは、雨が降らないため、緑の木々も砂埃にまみれているためです。時折、谷川の水を求めて鹿が現れると聞いていましたが、残念ながら私は出会ったことがありません。

 ユダの南の境界は、死海の南端から地中海を目指して緩やかに弧を描いて膨らみながら線が引かれます。「エジプトの川」とはナイル川のことではなく、シナイ半島の北側を二分して地中海に注ぎ込んでいる川です。東側(地図でいえば右側)の境は分かりやすいと思いますが、死海がその境です。もっとも、死海の大きさは今よりももっと大きかったはずですが。

 北側の境界は複雑なので説明するのがやっかいですが、死海の北端から出発して反対側の地中海を目指します。7節にあるギルガルはヨシュアが陣を張った町とは別で、ここは「ゲリロト」と読み替える提案がなされています。「アドミムの坂」はエリコからエルサレムに上る道で、今日ではユダヤ人の新しい入植地が出来ています。新しいとは言っても、もう数十年経ちますが、その町には特徴あるユダヤ人キリスト者の教会がありましたので、私も記憶に留めています。

 8節に至りますとエルサレム近辺になります。「ベン・ヒノムの谷」はエルサレムの旧市街地と新市街地に挟まれた谷間で、今では催し物場や「シネマテーク」と呼ばれる映画館が建っています。聖書では「ゲ・ヒノム」とも呼ばれて、これが「ゲヘナ」という言葉の元になります。「ゲヘナ」は言わば「地獄」です。その謂われについてはエレミヤ書が伝えていますが、この谷には王国時代に「トフェト」という異教の祭壇が作られて、イスラエルが忌み嫌う人身供養が行われたことがありました。イスラエルの歴史家たちは実際にはなかった、と主張していますが、預言者が告げた神の怒りは「なかった」ものに向けられていたとは考えられません。

 「エブス人の丘」とはエルサレムのことです。エルサレムの王アドニ・ツェデクがヨシュアによって倒された経緯が10章に書かれてありましたが、城壁に囲まれた町エルサレムを攻略して手に入れたのはダビデであったとサムエル記下5章に記されています。それまでエルサレムはエブス人の町であり、エジプトの古文書によればそこはヒッタイトの町であったとも言われます。ダビデはその後もエブス人との関係が深く、主の神殿を建てる敷地をエブス人アラウナの手から買い取っています。

 山地を通り抜けてベト・シェメシュからは川沿いに進んで地中海に到達します。これが北側の境界線となります。西の境界線は地中海です。ただ、そこには、45節から47節にあるようなペリシテの町も含まれますから、ペリシテ人を屈服させた暁にはこの境界線が実現する、ということでしょう。ⅠⅢ章ではペリシテ人の領土は「占領すべき土地」とされています。

ユダの町々

 こうしてユダの境界線が描かれましたけれども、20節から63節にかけて、ユダの領地に含まれる町の名前が詳細に報告されています。一つ一つを説明するのはあまり意味があるとは思えませんので、簡単に触れておきます。これらの町は、地形に基づく区域によって4つに分類されています。ネゲブ、シェフェラ、山地、荒れ野です。これらはそれぞれ、沙漠、平野、山地、荒れ野という地形を表わすことは前に見て来た通りですが、それぞれがユダに属する固有の地域をも指しています。これらの自然の地形を見ますと、確かにユダの領域は他の部族に比べて広大な範囲となりますが、沙漠や荒れ野を含む土地ですから、必ずしも豊かで暮らしやすい土地とは言えません。マナセやエフライムが手にする北部の土地は穀倉地帯でもあって遥かに豊かです。ユダはパレスチナの過酷な自然と向き合いながら、神の恵みに頼って生きる道を特別に備えられたと言えそうです。

 このリストに見られる注意点を二つばかり述べておきます。聖書に関する専門的な知識として聞いていただければと思います。先きにも触れました45節から47節にあるペリシテの地域に関する記述は前後にある他の部分と少しばかり文体が異なっていますから、後の編集によって加えられた部分とも考えられます。また、「エクロン、アシュドド、ガザ」と三つの町が並んでいますが、ペリシテの町はさらに「アシュケロン、ガト」を加えた五つであるのが聖書の通例で、この三つだけが登場するのは奇異な感じがします。歴史家が明らかにしたことによりますと、「エクロン、アシュドド、ガザ」という組合せは、アッシリアの文書に見られるとのことで、これは後にアッシリア帝国がペリシテの土地を制圧した際に、そこに役人を送って統治させた町々であるとのことです。そうしますと、この三つの町が特に取り上げられて「ユダの所領」に分類されているということは、アッシリアの支配に対するユダの支配、すなわち、主の嗣業であることの主張が読み取られます。ここから、嗣業の土地を巡ってのイスラエルの信仰の戦いを垣間みることができるように思います。土地の所有については人間の欲も働きますけれども、イスラエルにとっては土地は命であり、神への信仰と切り離すことができないものでした。「嗣業の土地」が霊的な恵みにとって変わる機会はバビロン捕囚を通じて旧約の民にも訪れるのですけれども、「嗣業の土地」が聖地イスラエルと結びつく信仰は、今日のシオニズムにまで至るほど強靭な生命を保っています。私たちは、主の支配を告げるこうした主張を、この世の諸力に対するキリストの霊的な支配の内に成就したものとして受けとめますから、聖地への執着は持ちません。しかし、キリスト者でも物理的なモノの力には弱いところがあるので注意は必要です。

 もう一つは、本文の問題です。59節後半にある「テコア、エフラタ」と続く11の町のリストは、ヘブライ語の本文にはありません。それで、口語訳聖書にも新改訳聖書にもこの部分は訳されていないのですが、新共同訳聖書ではギリシア語訳聖書から補ってここを加えています。このユダの町々のリストは、先ほど触れましたように、アッシリアの支配に対抗してのユダ王国の行政区分だとしますと、ギリシア語訳が保持しているこの部分を加えた方がよろしいようです。ヘブライ語本文が原典であるから、より古いオリジナルである、と決めつけることはできません。

オトニエルの相続

 さて、以上のような地名のリストからメッセージを汲み出すことは困難ですけれども、13節から19節にかけて一つのエピソードが現れます。前の14章でエフネの子カレブの嗣業について触れられていましたが、それに続くオトニエルの分前がここで記されます。13節と14節は14章で述べられたことをほぼ同じように繰り返していますが、15節ではさらにカレブによるデビルの攻略が伝えられます。このデビルの攻略についても、ヘブロンと同様、すでに10章で別の形で報告されていました。即ち、ヨシュアがこれを聖絶した、という記述です。しかし、デビルについてもまたヘブロンと同様に、カレブの一族によって占領されたという並行する伝承がここにあります。これによりますと、デビルはかつて「キルヤト・セフェル(書物の町)」と呼ばれていて、カレブの兄弟オトニエルが占領した、とのことです。そして、カレブは自分の娘を兄弟に妻として与えた、と言います。自分の娘を兄弟に与えるとなると、血縁関係がややこしいことになりますけれども、そういうことを回避して、「兄弟」とは一族のことで、実際の兄弟ではない、という解説がなされたりもしています。しかし、「ケナズの子」とわざわざ記しているところからしますと、兄もしくは弟であるはずです。そういう近親婚は聖書の倫理に即しても忌避されるものですが、おそらくここはそういう欠点として、カレブの家系があえて記されているものと思われます。18節にある一文が、またその手掛かりとなります。新共同訳では読む限り何も問題は感じませんけれども、新改訳聖書ではこう訳されています。

  彼女がとつぐとき、オテニエルは彼女をそそのかして、畑を父に求めることにした。

まず、オトニエルが勧めたことになっていますが、これはギリシア語訳に基づいています。しかし、ヘブライ語では新共同訳が訳す通り、勧めたのは妻のアクサであって、ここはあえてギリシア語訳をとらねばならない理由はないと思います。確かに、父を説得するのは妻のアクサですから、オトニエルが妻をそそのかしたとした方が文脈に合うようにも思われますが、おそらくそう考えてギリシア語訳が修正したのでしょう。「勧めた」と訳されている言葉は、新改訳がきちんと訳しているように「唆す」という意味の言葉です。罪へと誘う、悪に手を染めるよう唆すという悪い結果に通常は結びつきます。エデンの園におけるエバの役割に代表されますように、聖書では「唆す」のは通常女性です。そして、娘のアクサは自ら父のもとへ赴いて、おねだりをしてみせたのでした。断言はできませんけれども、アクサはこうして一見「悪女」として描かれていますが、それは聖書が時々あらわす人間の、特に女性の、したたかさに対する評価なのではないかと思います。ヨシュア記でも、初めに遊女ラハブへの評価がありました。弱い立場に置かれた女性が、したたかな戦いによって、神の恵みを勝ち取る姿が時々聖書に現れるのは、神の憐れみの表示です。前にも触れました通り、カレブとはユダの家系に後から加えられた傍流の一族です。彼はしかし、ヨシュアと並ぶ光栄を、その信仰によって与えられました。それに続いて、カレブの兄弟もまた勇敢に主の戦いに加わったのでして、分前が定かでないオトニエルには、カレブの娘がけなげに知恵を働かせて、勇敢に土地を勝ち取ります。カレブの一族は、こうして見ると、ヤコブに似ています。神の祝福を勝ち取るために、したたかに悪知恵さえ働かせて、格闘したイスラエルの父祖です。神は人間を、ただ言われた事をきちんと果たすだけのロボットだとは見ておられないことが、こうしたところから分かります。罪を犯す人間をも大きく受けとめておられて、そのけなげな努力をちゃんと見て恵みを勝ち取らせてくださる、という懐の深さが感じられるところです。申命記的な契約に基づく厳しさも他方にあるのですが、そこで人間が想像する以上に、神は余裕をもって私たちを扱ってくださっているのではないでしょうか。

祈り

天の父なる御神、私たちの罪の増し加わるところに、あなたの恵みも増すとパウロが述べましたように、あなたは私たちの罪をも用いて恵みをくださることがあると御言葉から知らされます。私たちは、あなたの御旨に反することを望みませんけれども、日毎に罪を犯してしまいます。どうか、それでもあなたが私たちを御旨に適って導いてくださっていると私たちに信じさせてください。罪を犯しても安心していられるということではなくて、罪を憎み、キリストの道を歩みながらも、ただあなたの御旨が私たちを導いていることに平安でいることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。