内なるエルサレム

牧 野 信 成

 

. ワールドカップと新聞コラム

ただいま巷ではワールドカップたけなわというところですが、前回のワールドカップの時、つまり4年前になりますが、私はエルサレムにいて今回と同じような世界的な熱狂を感じていました。イスラエルにいると、あそこには世界中からの移民が集まっていますので、サポーターといえば皆地元の応援団ということになります。つまりフランスから来たユダヤ人たちはフランスを応援する、アルゼンチンからの移民たちはアルゼンチンを応援するという具合に、まことに賑やかです。イスラエルでもサッカーは大変盛んで、大きなスタジアムも全国に幾つかあるのですが、イスラエル・ナショナル・チームの実力の方はまだこれからのようです。4年前のワールドカップの頃、私の住んでいたアパートには、居間に古いテレビがあって、決勝トーナメントもいよいよ大詰めとなりますと、学生たちが見せてくれとやって来ました。確か準決勝の試合だと思いますが、ブラジルとオランダがぶつかることになり、たまたま我が家にその試合を観戦に来た友人の中にブラジル人とオランダ人がいました。どちらも大学生でしたけれども、オランダから来たその神学生は至って冷静なんですが、ブラジルから移民としてやってきたその学生は祈るようにしてテレビ画面に見入っていました。わたしはどちらかというとオランダのチームの方を応援していたのですが、結局そのとおり、優勝候補でありましたブラジルが負けてしまい、彼は可哀想なくらいに落ち込んでしまって、帰るまで一言も口を利かなくなってしまいました。ああいう臨場感はイスラエルならではのものであったでしょう。

 

2 日本から見たイスラエルのイメージと現実

たぶん今日ここにお集まりの皆さんはイスラエルの話というのでもう少しきな臭い話を予想されたかもしれませんが、いきなりサッカーの話しとは呑気なものに感じられるかもしれません。けれどもイスラエルの日常生活はそのように淡々と過ぎていきます。ワールドカップがあればテレビ中継に熱中し、しばらくは仕事も勉強も手につかないなどというところは私たち日本の市民とも同じようなところかと思います。日本にいるとある一定の報道機関を通してのみ、またある一定の関心に絞ってのみ情報が入ってきますので、例えばパレスチナ問題を通してのみイスラエル社会を想像するにしても大変いびつな形にならざるを得ません。現実は私たちが日本で享受しているような豊かな市民生活が、程度の差こそはあれ、イスラエルにも十分備わっています。今日はまずそこから、私たちがイスラエルをみる視点について考えてみたいと思います。

 

2.1 イスラエル・パレスチナ報道

2.1.1 テロ国家イスラエル

まず私たちが新聞やテレビなどのメディアを通して知るイスラエルは「テロの頻発する武装国家」としてのイメージではないでしょうか。また常にパレスチナの惨状とのペアでもって知らされますから、「イスラエル」と聞きますと大抵の日本人はいい顔をしません。ひとつの例を挙げますと、ヘブライ大学での私の友人に国際政治を学んでいた学生がいるのですが、彼は修士論文を書き上げて、さて日本で就職先を探そうと帰国して幾つもの会社を回ったのです。するとなかなか働き口が見つからない。何故かというと、せっかく海外で学位までとったのですけれども、イスラエルは駄目なのだそうです。むしろイスラエルで学んだなどということは履歴書に書かない方がよい。それは日本の企業ではマイナス評価にしかならないというのです。日本の企業におけるこうした態度はイスラエルに対する偏見が反映しているばかりというのではおそらくないのでして、アラブの石油に依存している日本国家としてはアメリカに反してでもパレスチナを支援しなければならない理由があるわけです。そうした利権の問題も絡みつつ、感情問題にまで発展しているのが現状と言えるでしょう。パレスチナ難民の窮状を訴えるルポルタージュやドキュメンタリー番組に接して深い同情心を起こされるのは当然ですけれども、そうした報道の背後には国家的レベル・企業レベルでの打算も働いていることには注意しておく必要はあると思います。特にパレスチナにしてもイスラエルにしても感情的にどちらか一方に肩入れしてしまう態度は、与えられている情報ソースに対して無批判である場合が多いので要注意です。

 

2.1.2 「正しい報道」を巡って

昨日の朝日新聞の朝刊に、私の友人が投稿した文書が掲載され、「イスラエルに対する日本での公平な報道を求む」と訴えていました。彼女は10年近くイスラエルに滞在して旅行ガイドをしている牧師なのですけれども、最近活発にイスラエル擁護の訴えをあちらこちらでしているようです。ではどういう立場でイスラエルを擁護するのかといいますと、基本的にはイスラエル市民としての生活の現場から訴えられている声ということができます。イスラエルに住んでいます日本人のところにはたいてい日本のニュースは伝わっているものです。インターネットを用いればそれこそ日本にいるのと変わらないほどの情報が手に入ってきます。そうしますと、日本の報道というのは先程も申しましたように基本的にはパレスチナ支援であり、イスラエル非難一色といってよいものです。そしてそこにはイスラエル国内事情などにはあまり関心は払われていませんので、イスラエルに住んでいると日本の報道は本当に一方的と思われるわけです。そこで現在テロリズムに脅かされているイスラエルの窮状を知らずにいて、非難ばかりをするのは不公平だ、こういう主張が生まれて来ます。今日のパレスチナ・イスラエルの争乱は一昨年の10月から始まっていますが、それから一年半程の間にイスラエル側では415人の死者があったといいます。その数字が示すところのイスラエル市民の感情や生活感ということについては、日本の私たちはパレスチナ報道の陰に隠れて殆ど思い致すことがないのが実情でしょう。ですから、イスラエルを何とか擁護したいという現場の日本人の主張には、ある部分、全部ではありませんけれども、聞かなくてはならないようにもわたしは思っています。

ただ、「公平な報道」ですとか、ましてや「正しい報道」というものをわたしは期待するべきではないと考えます。特に政治的な判断においては、「中立」などはありえないのではないでしょうか。ニュース一つとっても、私たちが得る情報というのはタダではないわけです。新聞にしろテレビにしろインターネットにしろ、それなりの料金を払って手にします。つまり、その料金分の付加価値がかかった商品を私たちは買っている。日本におけるパレスチナ報道は「パレスチナ問題」という商品として買い手を待っている。ですから「公平」ということからいいますと、日本では「イスラエル」という商品はニュースとしてはまだそれほど買い手がないということになるでしょう。

少し前にNHKで「兵役拒否」というドキュメンタリー番組が放映されて、これがイスラエル国内からの発信ということで反響を呼びました。イスラエルでは、子供たちは高校を卒業しますと大学へ進学するか兵役につくかの選択をしなければなりません。進学をするならば弱冠の時間的猶予ができます。しかしこの番組で取り上げられた高校生は、卒業する前から兵役につくのを拒否する宣言をしたのです。これが今イスラエルで一つの運動となってきまして社会問題として扱われているのですが、この番組のようにイスラエルの側からのアプローチというのは今まで殆どなかったものです。おそらく今後は、イスラエルの方をもう少し注意してみようという立場がもっと現れてくるだろうと思います。

 

3 イスラエルの日常

 わたしはイスラエルを擁護する主張にも、またイスラエルを非難する主張にも、賛同する気になれません。どっちつかずで困りますが、正直なところそう言わざるを得ないのです。その辺りをお話しするのには、まずイスラエルの日常生活についてまず少し知っていただくことが先決と思います。

 

3.1 アラブ社会に取り囲まれた西欧

すでに一言述べたところではありますが、イスラエル社会は今日の私たち、日本の私たちが営んでいる日常生活とほぼ同質のレベルを保っている社会です。その文化的特質にしても生活水準にしても並行しているといってよいと思います。アラブ世界を旅してきた友人の話しによりますと、イスラエルに来るととても違和感があるといいます。それは、イスラエルの国境を越えるといずれの方向も中近東のアラブ国家が待っているわけでして、そこには共通したアラブ文化があり、都会ではありましても風土に馴染んだ人の姿がみられます。しかし、イスラエルという猫の額ほどの小さな国では、西欧に均質の世俗都市文化が突如として現れます。イスラエルではユダヤ人独特の生活様式があると思われるかもしれませんが、それは一部のユダヤ教徒たちや、或いは日常生活の一部に、例えば暦ですとか、そういう固有のものがあるということで、生活を取り巻く物質文化そのものには大きな違いはありません。ですから、日本人である私たちであっても、言葉さえ何とかなれば、大変居心地がよい。カルチャーショックなどということも殆どないかと思われます。

政情が不安定であるとはいえ、市民生活は健全に守られています。新しい入植地には白い石灰岩をあしらった明るい集合住宅が立ち並んで、バルコニーからはなだらかな丘が見渡せる。植え込みにはハーブがたわわに茂っていて、季節ごとの見事な花々が明るい陽射しをうけて咲き誇っている。庭の芝生にはスプリンクラーが回っていて、緑が青々としている。休日にはお父さんもお母さんも家にいて、あるいは家族でトヨタのバンに乗り込んでドライブに行く。建国後50年、幾たびの戦争を乗り越えて、イスラエルは高度経済成長を遂げて、世界の先進国の仲間入りを果たしています。90年の湾岸戦争をこらえて、92年にイツハク・ラビン首相がパレスチナと和平条約を結んだとき、イスラエルの平和が生活の中で実感として感じられるほどになりました。

 

4 イスラエルから見たパレスチナ

4.1 ラビンの夢ー豊かさの中で

 イスラエルの政治活動の中で繰り返し述べられる言葉があります。ヘブライ語で「ビタホン」というのですが、「安全」のことです。市民生活が安全に守られること、これが特に選挙の時などに議員候補が掲げる第一の公約になります。市民もそれを第一に願って候補者を選びます。パレスチナの難民のことを考えて選挙をするわけではないのです。まずは今、わたしが努力して確保しているささやかな幸福を守ってくれる政府を市民は期待しています。その平和な生活を脅かすものがテロリズムということです。

 

4.2 頻発するテロ

ここから私たちは、イスラエルの市民にとってパレスチナ人が何であるかを僅かながら知ることができるように思います。一般のイスラエル人にはパレスチナの窮状は見えません。かえって日本にいる方が判るのではないかとも思われます。しかしこういうことはイスラエルに限らないでしょう。人は悲惨な者には初めから目を向けたがらないのではないでしょうか。私たちも日常生活の中で周囲にいる困窮を極めた人々のことをいつも念頭において生活しているわけではないと思います。むしろ私たちの見えないところで捨てられている人々がいる。イスラエルにとってパレスチナとはそのような人々でしょう。もっとも本当に見えないわけではないのです。もう少し関係がよかったときには、パレスチナ人はイスラエルの労働力として貴重な存在だったわけです。エルサレムで引越しを何度かしたのですが、初めのころ、大学の掲示板にあった張り紙をみまして、おそらく一番安いだろうと思われる引越し屋に仕事を頼んだことがあります。すると二人組みでやってきまして、一人はイスラエル人で、たぶんポーランド系でしょう、もう一人はパレスチナの青年でした。それで、このイスラエル人の親方は指示をするだけで殆ど荷上げはしない。真っ黒に日焼けした青年が一人で、本のぎっしり詰まったダンボール箱を5つから6つ、一時に背負うのです。たいした剛力ですけれども、それこそ歯を食いしばって、汗水をぽたぽたたらしながら階段を上っていく。心配をしまして、もっとも荷物の方も少し心配でしたので、「大丈夫か」と声を掛けたのですが、大丈夫だ、問題はないと、親方が応えるのです。案の定、食器の入った箱に限って見事に落としてくれましたけれども。こういう形で、日常的にイスラエル市民はパレスチナ人と接しているわけです。けれども、それは私たちが日本で知らされるところの難民としての姿でではありません。イスラエルではそのような意識は殆どないでしょう。その後イスラエルとパレスチナの関係が緊迫してきて、こうしたパレスチナ労働者たちはイスラエル領内から締め出されてしまいました。「労働力」から「危険要素」に変わったのです。私たちの市民生活の益になる限り彼らは許容されています。しかし、不安要素を持ち込むならば、彼らは排除されねばなりません。

わたしがイスラエルを避難する立場に共感できないのは、こうした社会的な構造は私たちの回りでもまったく同じだろうと思うからです。日本でテロが起こったらどうなるでしょうか。大阪の繁華街で、或いは近所の通学路で人が爆弾を抱えて爆発する。何の関連もない市民がそこに巻き込まれる。その犯人が出稼ぎに来ていた外国人だったり、ホームレスの労働者だったりする。そうしますと、おそらく間違いなく市民は「人権」を脅かすこうした人々を身近な区域から一掃すべく運動を起こすのではないでしょうか。あるいはそういう処置を行政に徹底して求めることでしょう。何故、そのような事件が起こるに至ったのかという調査・分析が新聞の紙面をにぎわすことになるでしょうが、それが分かったからといって、市民の恐怖感が拭われるわけではないと思います。

イスラエル市民がパレスチナ及びアラブ人に対して持っている不信感は歴史的なものともいえますけれども、度重なるテロ爆破によって植え付けられた恐怖感がそこにはあります。イスラエルを訪れる日本人は、このような市民に根付いている生活感に馴染むに従って、まずは感覚的にアラブ人を恐怖するのだと思います。そしてイスラエルに知人を多く持つにようになるに従って、その市民感情を吸収していく。自然にイスラエルを擁護する立場に変わっていくのだと思います。恵まれた市民生活を共有する自然な同情から、イスラエルは弁護されています。

ですから、もし日本で、イスラエルに対するパレスチナのような、危険な要素をもった隣人が現れたとすれば、イスラエルに対する嫌悪感などというのはあっというまに逆転するのではないかと思うのです。「市民生活を脅かすテロリズムに対する正義の戦い」という構図ではアメリカとイスラエルは今一致しているわけですけれども、日本が一度その構図の上に乗っかってしまえば、「パレスチナ人はテロリスト」などという言葉が日本でも大手を振ってまかり通ることになるでしょう。

そういうわけで、日本国内でイスラエルを感情的に嫌悪する立場には共感できませんし、またイスラエルを擁護する立場には警戒しています。どちらも問題は、パレスチナ紛争という出来事に向かい合うときの主体がきちんと問われていないところにあるように思います。つまり、イスラエルを嫌ったり、弁護したりしている自分が一体どのような立場から、何のために、そうした見解を持つことができるのかということです。パレスチナ難民に対する同情は人道的に誰にでも理解できます。しかし、イスラエルの市民と同じ豊かな生活感を共有しながら、同じ価値観、すなわち、わたしの生活は誰にも脅かされてはならないとする原則をもちながら、どうしてイスラエルを非難することができるでしょうか。パレスチナ問題は民族の問題ばかりではありません。むしろ南北問題、経済格差の問題が大きいのです。そこに民族・宗教・歴史といった複雑な因子が絡んできます。

 

5 平和を願う人々

 さて、あまり専門的な領域に入っていきますと私の手には負えませんので、少し別の観点からイスラエルについて知っておいて頂きたいことをお話ししたいと思います。イスラエルは何かとタカ派が牛耳っている専制国家のように思われがちですが、そうばかりともいません。積極的にパレスチナとの和平を推進してきたグループや良心的な人々がいます。

 

5.1 「左派」というグループ

 現政権を取り仕切るアリエル・シャロン首相などが代表しているのはイスラエルの右派政党であるリクード党ですけれども、一方で歴代の首相を生み出してきた左派政党として労働党があります。勿論その他にも細かい政党は幾つもあるわけですが、この二大政党がイスラエルの政治を執り行ってきました。ラビン首相が暗殺されるまでは労働党が与党としてパレスチナとの交渉を進めてきて、つかの間の平和ムードをイスラエルに齎していたのですが、その後イスラエル・パレスチナ両者の極右団体が互いの歩み寄りを嫌ってテロ活動を始めた結果、世論は「強い政治」を行うリクードに政権を明渡しました。しかしラビン首相の時のシモン・ペレス副首相は内閣を外れたその後もパレスチナとの和平案の推奨者であり、今日までイスラエル左派のリーダー的存在でした。ただ、今回の紛争がおきてからはイスラエル左派陣営も挙って躓いてしまい、というのはアラブ極右組織のテロがあまりに頻繁にイスラエル社会を混乱に導いたので、今のシャロンが首相の座についたときにはもはや力もありませんでした。パレスチナとの和平というのは、イスラエル側の意識からすると、平和を得るために一方的に譲り渡すことになりますから、それは「生活感覚」では対処できません。おそらく思想がないと駄目です。パレスチナとの共存を具体的に描き出すだけの想像力と、それを生み出すための覚悟がないとできないでしょう。左派に今それだけの粘り強さがあるかどうかはわかりません。しかしそういう覚悟をもった政治家・思想家がいることだけは知っていて頂きたいと思います。

 

5.2 良心的教会

それから次に挙げるのはキリスト教会のことです。この辺りはわたしの経験した範囲で述べるに留まりますが、イスラエルには幾つかの良心的な教会がイスラエル・パレスチナ両者の和平について積極的な姿勢を示しています。「良心的」とはかなり私的な言い方になりますが、それはそう言わざるを得ない実情があるからでして、そのことはまた後ほど触れます。

両者の和平を取り結ぶ働きに積極的なのは主にローマ・カトリックの教会です。パレスチナにも教会を持っているせいということもあるでしょうけれども、やはり教会の普遍を重んずるためでしょうか、パレスチナ難民の救済活動にも積極的ですし、イスラエル市民のための礼拝も続けています。時には両者合同の礼拝ももたれると聞いています。また、アングリカン教会を中心にした超教派的な祈りのサークルもありました。ヘブライ語やアラビア語、その他の言語で和解のメッセージがそこから伝えられたこともあります。それから最後に、解放の神学を標榜する女性たちのグループで、この人たちはヘブロンでパレスチナ人の家を破壊しようとするブルドーザーを前にして座り込み運動をしたりして命がけの抗議運動をしました。これらの教会は基本的にはイスラエルに拠点をおきながらパレスチナへの人道的支援や両者の和解のための活動をしているグループです。キリスト教ばかりではなくて、ユダヤ教のラビたちの間でも人道的な立場からパレスチナ支援を呼びかけるグループがあります。

これらのことを私がお話しするのは、イスラエルにはイスラエルの苦悩があるということを知っていて頂きたいからです。イスラエルにも良心があります。そしてあるところではイスラエルの人権意識は非常に高いともいえます。しかし、日常の不安と恐怖が市民を追い込んでしまっていて、政府の無法を赦す結果となっています。単なるお節介ではなくして私たちがこの中東問題に関わるのであれば、私たちはイスラエルとパレスチナが共有している現在のこの苦悩を負う事でなければならないはずです。互いに敵対しあう関係が既に歴史化してしまっている状況に置かれて、どう互いに受け入れあうことができるのかという問題であり、そのことにまともに向かい合って苦悩することです。

 

7 改革派信徒であること

わたしはエルサレムで5年間過しました。その期間、今まで述べてきたようなイスラエルとパレスチナとの確執について日常を通して触れてきました。そしていつも自分に問われていたように思うのは、自分はそこにいる彼らに対して何者であるかという問いであったように思います。

大学で聖書を専門的に研究する教師たちに会いました。そこでは信仰は隠されたまま、人間の言葉で書かれた聖書をありのままで読み解く作業が進められていました。しかしそれは決して無味乾燥なアカデミズムなどではなく、聖書に向き合ったときの人間があからさまにされていたように思います。ある教授はエレミヤ書の記述を引用しながら、かつてイスラエルが行っていた幼児犠牲という恐ろしい行為に触れて、目を赤く腫らしながら講義を進めておりました。イスラエルの兵士たちの前にパレスチナの子どもたちが撃ち殺されていく姿が彼の念頭にあったかもしれません。またある教授は第二神殿時代、つまり中間時代から新約時代にかけての歴史を講義しながら、ローマ帝国の強大な権力の前に内部分裂によって滅びていくユダヤ民族の姿のなかに、現代のイスラエルを重ねておりました。ラビン首相を暗殺するに至った熱狂主義的なユダヤ教徒のグループは、イエスの時代にはシカリ派と呼ばれていた暗殺集団を思い起こさせます。これらの聖書研究者たち、歴史家たちは聖書の中に、歴史の中に何を見つめていたのでしょうか。マルティン・ブーバーという哲学者がおりましたけれども、彼はヘブライ大学でも教鞭をとっておりました。そのブーバーの言葉の中に、「聖書は人間が神について記した書物なのではない。神が人間について記した書物だ」というのがあります。私どもの聖書観とは違いますけれども、そこから教えられることは多い様に思います。ヘブライ大学の教授たちはおそらく聖書や歴史の中から人間そのものについて学んでいたのだと思います。そこに表される人間の愚かさ、悲惨を現代に重ねつつ、神の声に耳を済ませていたのではないでしょうか。

エルサレムに住んでユダヤ教徒の生活について初めて触れることができました。直接的な知己を得ることはできませんでしたが、シナゴグの礼拝を通して、また様々な生活習慣を見聞きすることで、信仰の形式について思い巡らすことができたように思います。キリスト教の律法主義批判の安直さにも思い至りました。神の契約に忠実であらんと欲することが律法遵守の核心にありますから、ユダヤ教徒にとってもやはり救いは神の恩寵です。

シナゴグの礼拝でトーラーが読まれるとき、そこで崇められているのは立派な説教をする人間ではなくて、朗読されている聖書の言葉でした。安息日遵守についても次のようなことを教えられました。「私たちが安息日を守ってきたのではない。安息日が私たちを守ってきたのだ」ー礼拝を奪われ続け、聖書を焼かれつづけてきた民族の持つ確信でしょう。信仰を担う伝統的な形式は、彼らが神と共に生きることのリアリティーそのものです。聖書解釈の伝統に対する崇敬と厳格な生活様式の規定は、キリスト教の宗教改革者たちの理念に共通するものがあります。鏡に我が身を映すように、彼らの信仰のかたちを見る思いがしました。

エルサレムで多くのクリスチャンに会いました。旅行者はともかく、聖地への憧れに突き動かされて、エルサレムに長い間留まる兄弟姉妹たちと信仰生活を共にしました。「エルサレム・シンドローム」という現象がありますが、エルサレムを訪れる人々が、自分は預言者かメシアになったように思い込んでしまう現象です。そして多くのクリスチャンはそこまで至らないにしても、聖地にいるということで自分の存在が何か特別なものになったかのように思えて、エルサレムを離れることができません。「アラブ人は滅ぼされても仕方ありません」と述べた神学生がいました。その場に居合わせた未信者の友人は「能天気だね」と笑っていましたが、実際に口にはしなくてもそう考えているクリスチャンはエルサレムに少なくないでしょう。「パレスチナ人はテロリストです」と書かかれたニュースレターを最近また別の知人から受け取りました。異文化に出会った衝撃を排他的にしかかわしきれない卑小さが神の名の下に正当化されてしまう。信仰が狂気としか思えなくなってしまう瞬間です。

こうした様々な出会いから、私は自分がキリスト教徒であることを再吟味するように要請されます。さらに改革派という固有の伝統に位置付けられていることをも知らされたように思うのです。大学で接した聖書研究は世俗のものではありましたけれども、それは形式的な問題に過ぎません。それを信仰において受け取るのは個々の研究者の心の問題です。形式においてはユダヤ教徒もキリスト教徒も机を並べて学ぶことができました。その内容を心において内実化するのは、つまり神の声を聞くのは改革派信徒である私でした。カルヴァンにもウェストミンスター信条にも、信仰と学問の健全な関係が現れているということに気がつかされました。学問が信仰を否定するのではなく、信仰を与えられたものが心からの尊敬をもって聖書の研究に向かうことが許されています。

ユダヤ教正統派の伝統への固執は、私たちの伝統についての意義を再考する必要を示してくれました。歴史を蔑ろにしないということ、むしろ、歴史という空間の中で今を生きること、そうしたことが、内的な信仰を軽薄な情感に拡散させてしまうことなく、きちんと実質あるものとして形にするために有益であると教えてくれます。伝統は束縛ではなく、私たちが養分をそこから吸い上げ、天に向かって高く枝を張るための根です。ユダヤ教の深い伝統に触れて、かえってキリスト教の計り知れない歴史の深みに気がつかされました。

エルサレムのクリスチャンたちは、神が何でないかを教えてくれたように思います。聖地は偶像に過ぎません。エルサレムは私たちの心の中にこそあるものであって、ユダヤ人の神殿が再建されるのを待っているわけではありません。聖書の言葉から、或いは信仰の歴史から、誠実に神の声を聞きたいと願ってきた人々は、人間のありのままの姿を神から教えられて、現代のイスラエルをみるべき視点を保つことができているように思います。救いの神は、人間の悲惨の中にあらわれてこそ、救いとして認められます。

最初に創世記の記事を読みました。ハガルとイシュマエルはアブラハムのもとから荒れ野へと送られます。見捨てられた孤独な女性と、ついに母にまで見捨てられる子ども。神はこうした追い詰まった人間のところに現れます。そして「立っていって、あの子を抱き上げ、お前の腕でしっかり抱きしめてやりなさい」-こう命ぜられるのが神なのです。神は初めからこの世界のあらゆる悲惨な状況を見ておられて、そこへ御子をお遣わしになりました。私たちはイエス・キリストによって、神の言葉において生きるものとされています。ですからイエス・キリストの立場でしか、現代の人間社会の苦悩そのものであるパレスチナ問題をみることもできないと思うのです。そこに私たちはまず罪という根源の問題を見て取る必要があるでしょう。「イスラエルは悪くない」という弁護は、政治的には可能かもしれません。しかし、それは私たちの信仰的な立場の表明にはなりません。そして政治は決して「自分から与える」というキリストの立場を擁護するとは思えないのです。ここでわたしたち信仰者には固有の働きを自覚するのではないでしょうか。手におえない世の悲惨をここに見ますときに、その根源に解決を与えるのはキリストより他にないという私たちの信仰です。神の愛をもって愛を生み出すこと。それがわたしたちの取り組みとなるはずです。パレスチナ問題は一つの例に過ぎないでしょう。世界にはこのような実例が幾つもあることと思います。私たちの身近なところにも同じような問題があるでしょう。私たちは人間が互いに排除しあうという苦悩を世界と共有しています。私たちが信仰によって生きる日常生活は、遠いところでではありますが、そのようにイスラエルとも繋がっています。イスラエルにおいて私たちは何を見るべきでしょうか。世界が共有している人間の苦悩、そこで心を尽くして平和のために働く人々、狭間に立って祈るキリスト者の姿、でありましょう。そしてそこに、人の苦悩を背負うために世に来られた、イエス・キリストの姿が現れています。