主の残りの民としてー「70年」に期するもの

牧 野 信 成

はじめに

 この度はこのように特別な時間も設けていただいて、お話しする機会が与えられましたことに感謝します。来年2016年に私たちは日本キリスト改革派教会(RCJ)創立70周年を迎えて、仙台で記念信徒大会を行う予定です。神戸から仙台まで皆でどうやって行ったらよいかと私共の教会でも既に準備が始まっています。大会ではこの機会に記念宣言を出すことになりまして、この6月に行われた大会役員修養会でも草案に基づく協議がなされました。従来の「信仰の宣言」とは違うものとして、70年の節目に相応しい、今の時代に向けての信仰告白にしようと、「福音に生きる教会」と「善き生活」という二つの章からなる文章が出される予定です。

 また、西部中会でも「中会設立70周年宣言」なるものを今作成している途中です。西部中会はRCJ創立と同時に作られましたので、大会と中会の歩みを共にしています。これも教師会や中会の議場で審議しながら最終的な文案にまとめようとしています。

 このところで私も個人的に考えるところがありまして、大会の案にも中会の案に対しても少々意見を言わせていただきました。委員会の先生方の努力は十分承知しているつもりですが、やはり、問題の捉え方に違いがあるように感じています。特に今回の「70周年」は、大会としても中会としても、統一的な視点を確保するのが難しいのかもしれません。例えば、西部中会では昨年夏に信徒修養会を開きまして、「西部中会の未来を考える」というテーマで、二人の教師に講演をしていただきました。どちらも中会を指導する中心的な立場の先生です。その一人、神港教会の岩崎先生は、将来を見通せないところが今の時代の特徴である。だから、今手がけている働きを、例えば「リジョイス」の発行とか国内伝道の見直しとかに丁寧に時間を割く他はない、とお話しされました。もう一人の灘教会の西牧夫先生は、キリストのペルソナを如何に個々の信徒が保つか、という神学的な話をされまして、個々人の信仰の確立をテーマに据えなければならないとの趣旨でした。

 大会の宣言にしても、中会の先生方の話にしても、どれも意味のあることのように思えるのですけれども、それらが目指すところはなかなか一つ方向へ集中しません。将来の見通せない時代に確かに私たちは差し掛かっているのかもしれません。

 そこで、ばらばらなついでに、私個人が見るところもお話ししておいてよいのではないかと考えて、今回はこの場をお借りすることにしました。ここにいる皆さんの他は聞いてくれないかもしれませんが、私自身のためにも文章にまとめておくことは益になると考えました。本当は、一人一人に「70年の節目」が問われているのだと思います。私たちは今、戦後70年を迎えています。戦争の悔い改めから始まった教会の戦後は、敗戦の教訓から民主主義社会の構築を目指してきた日本の歩みと重なります。それがこの70年目に至って、そのすべてが誤りであったと捨て去られようとしています。戦後民主主義は幻想であった。太平洋戦争は誤りではなかった。間違っていたのは日本国憲法である、と政府が改憲目指して突っ走っています。私たちはこの70年間、一体何をしていたのだろうかと考えざるを得ないところに来ています。

 もちろん、私はその70年を個人としては生きていません。昭和40年生まれですから、丁度50年の歩みです。教会の歩みにしても、私の自意識からすれば、40周年が自分の出発点だと考えていますので、それから数えて30年が経験から話すことのできる限界です。それでも、70年の歴史をもつこの教会と、戦後の日本社会を引き継いで明日へと繋ぐ責任は、今この時代に差し掛かった私たちの肩にかかっています。ですから、今一度私たちは戦後70年の歩みを振り返って、そこから70周年後の道行きに目を注がなくてはならないのだと思います。

「70年」のタイポロジー

 今日の課題について触れる前に、聖書から少しばかり手がかりを得ておきたいと思います。以前、江古田教会伝道開始50周年をお祝いしました時に、ここで「50年」の持つ意味についてお話しさせていただきましたが、聖書では時折典型的な数字が用いられて特別な意味を表します。「50年」は解放の年ヨベルでしたけれども、「70年」はと言いますと、預言者エレミヤが告げた捕囚の期間を表します。『エレミヤ書』25章8節以下にこうあります。

 それゆえ、万軍の主はこう言われる。お前たちがわたしの言葉に聞き従わなかったので、見よ、わたしはわたしの僕バビロンの王ネブカドレツァルに命じて、北の諸民族を動員させ、彼らにこの地とその住民、および周囲の民を襲わせ、ことごとく滅ぼし尽くさせる、と主は言われる。.この地は全く廃虚となり、人の驚くところとなる。これらの民はバビロンの王に七十年の間仕える。七十年が終わると、わたしは、バビロンの王とその民、またカルデア人の地をその罪のゆえに罰する、と主は言われる。そして、そこをとこしえに荒れ地とする。

預言者ダニエルもこのエレミヤの告げた預言を知っていて、『ダニエル書』9章にこう記しています。

 わたしダニエルは文書を読んでいて、エルサレムの荒廃の時が終わるまでには、主が預言者エレミヤに告げられたように七十年という年数のあることを悟った。(9章2節)

世界史の上ではバビロン捕囚の期間は紀元前587年から前538年のおよそ50年ですので聖書の記述とは食い違いますけれども-あるいは神殿再建までの期間を考えれば70年に近づきますが-「7」が典型数であるのと同じように、このエレミヤの「70年」も一つの区切りを表す典型的な数として理解できます。『イザヤ書』23章ではフェニキアのティルスの都にこの「70年」が当てはめられて、都の滅亡と回復が告げられています(15〜17節)。

 そうしますと、「70年」とは神の裁きが実現して悔い改めが求められる期間、そして、70年目は神が再び恵みを施して都を回復させてくださる時です。その聖書のタイポロジーを用いるならば、私たちは今、70年目にして神の顧みを期待して、自由への新たな解放と国家・教会の建設に向かうことができる時、ということになります。

 興味深いのは、最初にお読みした『ゼカリヤ書』の御言葉です。『ゼカリヤ書』1章12節にも「70年」が出てきますけれども、7章5節以下で主なる神がゼカリヤを通じて、イスラエルの教会に対してこう問われました。

 「国の民すべてに言いなさい。また祭司たちにも言いなさい。五月にも、七月にも/あなたたちは断食し、嘆き悲しんできた。こうして七十年にもなるが/果たして、真にわたしのために断食してきたか。あなたたちは食べるにしても飲むにしても、ただあなたたち自身のために食べたり飲んだりしてきただけではないか。(5-6節)

帝国の支配下で70年の隷属期間を耐え忍べば自動的に解放されることになるかというと、そうではない。ヨベルの年でしたら、それは法的な取り決めでしたから、50年目になれば奴隷は解放されねばならないのですけれども、ゼカリヤが告げた言葉に表れているのは、その70年の実質への問いかけです。その期間、決められた断食は行ってきた。そうした取り決めを守ってあなたたちは悔い改めの表明は続けてきたつもりでいるけれども、「果たして、真にわたしのために断食してきたか」と主は問われます。そして「あなたたちは食べるにしても飲むにしても、ただあなたたち自身のために食べたり飲んだりしてきただけではないか」と心の内を問うています。

 そうしますと、私たちがこの70年の節目に当たって主から問われることは、敗戦の悔い改めから始められた私たちの教会の、またこの国の70年の歩みが、真実に悔い改めの期間となったかどうかです。日本キリスト改革派教会の創立宣言は次のように告白して戦後の歩みを始めました。

 今次の大戦に当りては、宗教の自由は甚だしく圧迫せられ、我らの教会も歪められ、真理は大胆に主張せられざりき。我等は之を神の聖前に恥ぢ、国の為に憂ひたり。然るに歴史を支配し給ふ神の摂理により、宗教の自由は遂に敗戦を通して祖国日本に賚さるゝに至れり。

 今後より良き日本の建設の為に我等は誠心誠意歴史を支配し給ふ全能にして至善なる神の御心に適ふ者とならざる可からず。その誠命(いましめ)の如く神を敬ひ、隣人を愛し、単に精神文化的部面に於てのみならず、「食ふにも飲むにも、何事をなすにも凡て神の栄光を顕はす事」を以つて至高の目的となさゞる可からず。此の有神的人生観乃至世界観こそ新日本建設の唯一の確なる基礎なりとは、日本基督改革派教会の主張の第一点にして、我等の熱心此処に在り。

この志に照らして70年の歩みを振り返りながら、ゼカリヤが告げている「あなたたちは食べるにしても飲むにしても、ただあなたたち自身のために食べたり飲んだりしてきただけではないか」との言葉を聞くときに、私たちは教会としても国民としても反省と悔い改めへと促されます。政治の面で言うならば、今の日本の政府に代表される立場は、「それで何が悪い」と開き直った態度です。教会はどうかと考えます。

 日本ばかりでなく、世界に広がったプロテスタント教会の宣教の現場では、80年代以降グローバルな経済至上主義に飲み込まれたスーパーリッチな教会の浮かれ騒ぎも観られました。9・11の事件がそれに冷水をかけたのですけれども、米国から世界に発信された大衆宣教の影響を私たちも知らずと受けていると私は常日頃から感じています。例えば、先日私どもの教会に加入して来られた姉妹がお話しされたことは、私たちからしますと衝撃的なことです。その方は決して前の教会が嫌になって移られた訳ではないのですけれども、改革派教会の礼拝に出て気づいたことは、前の教会では説教の中で罪について一度も話されたことがなかった、ということでした。カトリック、プロテスタントなど教派によらず、世界の多くの教会では信徒に対して否定的なことは言わない傾向にあります。先日、アメリカで最大の信徒数を誇る教会の牧師が新聞のインタビューに率直に答えていて、説教は完全にポジティブで行くと語っていました。つまり、大丈夫だ、きっと上手くいく、よくなる、と会衆に語りかけることに専念する。聖書にある罪だとか自己批判などは宣教にとってはマイナス材料にしかならない。そうしてビジネスライクに教会経営を果たして富を集める方式は、大企業のイメージ戦略とあまり変わりがありません。もっとも、その教会は慈善のための献金額も突出しているとのことでしたが。

 預言者たちを通じて神が告げておられた御旨は次のようでした。

  正義と真理に基づいて裁き/互いにいたわり合い、憐れみ深くあり、やもめ、みなしご

 寄留者、貧しい者らを虐げず/互いに災いを心にたくらんではならない。(9−10節)

悔い改めの実質として求められたものは、月々の断食のように、決められた礼拝を反復することではなくて、心から神の御旨を行うこと。正義と愛に生き、憐れみをもって貧しい人々と共に生きていくこと、です。

 70年前の世代に降った裁きは、「心を石のように硬くして」神の言葉に耳を傾けようとしなかったためだと、預言者はイスラエルに思い起こさせます。そして、『ゼカリヤ書』8章で呼びかけられるのは、神が激しい情熱をもって、人間の思いを越えて、都の再建を果たされ、真の平和を実現するとの約束と民への励ましです。

 あなたたちは、かつて諸国の間で呪いとなったが/今やわたしが救い出すので/あなたたちは祝福となる。恐れてはならない。勇気を出すがよい。(13節)

 あなたたちのなすべきことは次のとおりである。互いに真実を語り合え。城門では真実と正義に基づき/平和をもたらす裁きをせよ。(16節)

  あなたたちは真実と平和を愛さねばならない。(19節)

まとめますと、聖書から知らされる「70年」の意味は、その期間の悔い改めが真実であったかどうかが問われるということ、そして、神がそこから始まる新しい時代に情熱をもって臨まれ、教会を世界の祝福の基となるように励まされることです。

 神の言葉で祝福と呪いが表裏一体になっているのは、私たち人間の生き様がその両面を持っている現実に対応します。ポジティブなだけの言葉も世界観も単に現実逃避です。ネガティブなだけなのも真実ではないでしょう。

RCJ70年目の諸問題

 さて、ここから改革派教会がこの70年目にして直面している現実の問題について考えてみたいと思います。

 2006年に60周年を迎えた時とこの度70周年を迎える今の違いを考えてみますと、まず、RCJ創立に関わった初代の教師・長老たちがこの10年ですべてお亡くなりになりました。最後は高松教会の野田辰夫先生だったでしょうか。そして、第二世代の先生方も徐々に天に召され始めていて、榊原先生が一昨年お亡くなりになり、その他の先生方もかなり高齢になっています。そして、第三世代をこれまで導いて来られた牧田先生や小野先生、金田先生などがこれから現役を引退して行かれます。今年度の大会で議長に選ばれたのが小峯明先生、神学校校長に就任されたのが吉田隆先生、いずれも50代の先生方で、70周年以降をリードして行かれる新しい世代です。私は幾らか下になりますけれども、その年代に属する一人です。

 私なりの大雑把な解釈で申しわけありませんが、『宣言』を指標としてこの70年の歩みを振り返りますと、創立から30周年までは戦後の日本社会にどのようにして歴史的改革派教会を根付かせるかとの努力が払われてきたように思います。『創立宣言』では「有神的人生観・世界観の確立」と「信仰告白と教会政治と善き生活による一つの見える教会を建設する」という二つの柱が打ち出され、『20周年記念宣言』では改革派信仰が「神中心的・礼拝的人生観」と特色付けられて「神学と伝道の祈祷における統一」という総合的な教会の指針が確認されました。『30周年記念宣言』では「教会と国家に関する信仰の宣言」を通して反靖国闘争の渦中にある教会の社会的な位置付けを確認し、戦中のキリスト教会が犯した罪を改めて告白すると共に、私たちは政教分離の原則に立つことを表明しました。こうして日本国におけるカルヴィン主義的教会の立ち位置がはっきりしてきたわけです。

 40周年を迎えた時、大会は新信条作成の幻に向かって「信仰の宣言」を10年ごとに発表するという新しい方針を採択して歩み始めます。そして、50周年、60周年と積み重ねて、この30年間はウェストミンスター信条を中心に据えた改革派神学の咀嚼に務めて、教会の信仰の教理的内実を蓄えることに力を注いできました。10年ごとに宣言を作成することについては、当初から批判もありました。我々のような小さな教派にはまだ「宣言」のような大それたものを出す力はない、とのシニカルな隠れた意見もありましたが、現場の牧師からの声としては宣言作成に労力を奪われて伝道が進まない、というものが主でした。

 私見を述べるならば、40周年以降の宣言作成の努力は私たちの教会が神学的研鑽の牽引役を果たしたように思います。それがなかったら、どれだけ改革派教会は勉強しただろうかと思い返しています。「改革派教会は勉強ばっかりしていて伝道しない」などという福音派からの批判がよく聞かれて、それに傷ついてしまったためか、大会や中会の会議でも「神学よりは伝道だ」などという意見が聞かれました。実際のところは、改革派教会は勉強ばっかりしていたことなどなくて、「日本キリスト教会」や「日本キリスト教団」など旧日基系の主流派教会やカトリック・聖公会の方がよっぽど水準の高い勉強を信徒がしていたわけです。

 これまでに出された「宣言」を振り返って、それを読んでみれば非常に充実した内容であることがわかると思います。昨年、私共の教会で「60周年記念宣言」の終末論を学びました。高齢の教会員も多いので、終末信仰に確信をもって欲しいと願ってのことです。そうしましたら、昨年西神教会に派遣されていた神学生がありまして、福音派の教会から来ている神学生ですけれども、終末論というものはとても実践的な、牧会的なものだと分かった、と感想を述べてくれました。「50周年記念宣言」の予定論もそうですけれども、これも祈祷会で取り上げたことがあったのですが、そうしましたら、やはり他教派から来られたベテランの会員さんが、こんな風に予定論について学んだのは初めてだと。おそらく、福音派では全く理解していないだろう、というようなことを言われました。

 「宣言」はウェストミンスター信条にまとめられた教理を現代の私たちの言葉にするためによく吟味され、牧会や伝道にも益するように整えられています。その努力があって、私たちは教会の神学を進めてきた。牧師が学んだばかりではなくて、信徒も改革派教理の理解を深めてきた、もしくは、継承してきたのだと言えると思います。宣言を作成する作業が負担だと感じたのは、率直に言って教師たちの力量が足りなかったからです。今までは、できる人がいたからできたわけですね。ですから、教派の中にそれができる人を、つまり神学の専門家を養うことも今後の大きな課題になります。いつも「いるはずだ」と思っていたら大間違いです。

憂慮される現状

 宣言の話が長くなってしまいましたが、そうして世代を受け継いでRCJを保って来た私たちは、今、数字の上では停滞期に入っています。衰退しているとは言えないのは、つい先だって教会に配布された統計を見ますと、受洗者は若干増えているようなところがあるからです。ただ、どこでも伝道が難しい状況は明らかで、礼拝出席者数も献金額もはかばかしくありません。そこで、我々はRCJをどのように存続させることができるだろうか、と考えなくてはならない状況にあります。「主にお委ねする」信仰は勿論それでよいのですが、私たちの側で何もしないわけではありません。悲観し過ぎるのも罪ですが、無関心でいるのも怠慢の謗りを免れ得ません。

 中会や大会で教会同士の交わりの機会を持ちますと、どの教会でも高齢化が呟かれます。お年寄りが何も悪いわけではなくて、子どもがいない、青年が来ない、働き盛りの年代の兄弟姉妹が役員になれないような現状が、そこに含まれています。そこから生じる一つの危機は、私たちの教会の柱の一つである長老主義が成り立たなくなる可能性があることです。今、私の属する西部中会も、長老たちの高齢化が進んでいて交代すべき若い役員が出て来ません。教師たちは順調に若返りをしているのですけれども長老・執事がそれに伴っていません。最近では、芦屋教会や甲子園教会という伝統のある教会が伝道所に種別変更しました。

 役員の世代交代が進まないことの背景に何があるのかと考えてみますと、一つには壮年の世代40・50代の教会員が、仕事や家庭に時間を取られて教会にかまけていられなくなっています。それでも役員になるわけですが、なったとしても中会や大会には出て来ません。それを責めても始まらないのですけれども、それぞれの事情の中に、一つはあまり教派には関心がない、という本音があります。本当はそういう人を役員にしてはいけないのですけれども。ちゃんと憲法に誓約するわけですから。けれども役員を補充しなければならないなどの実情から、役員になってしまったりする。

 教派に関心がない、とはどういうことかと言えば、「改革派」などに縛られると狭い信仰になる、と思っている節があります。これは近年の傾向ではなくて、日本の土壌から来るものだと、もう大昔に渡辺信夫先生が『教会論入門』に書いていますし、吉岡繁先生だとか榊原康夫先生も書いておられたことです。日本のキリスト教に対する受け止め方の根本には「教派嫌い」があるわけです。キリストだけでいいじゃないか、聖書だけあればいいじゃないかと素朴に考えている。知的な能力に欠けるのではなくて、そういう方面に知力を注ごうとしない。ですから、役員の候補者を選んで、執事や長老になっていただくにはそれ相応の教育がどうしても必要になります。

 今の時代はそれに輪をかけて多元化の時代、グローバリズムが進展する時代です。特定の教派や伝統に固執する姿勢は「狭い」と批判されます。教会の場合は教会の内部でそういう発言が聞かれるようになるわけです。『福音と世界』などを読んでいますと、リベラルな学者や牧師たちが時々そんなことを言っています。多宗教との対話も進んでいます。「信教の自由」を推し進めるためには、それは不可欠なことに違いありません。けれども、そこから一般に共有されるようになる価値観もある。宗教はどれもよいものである。しかし、どれか一つが正しいとすることは誤りである。そんな風に宗教の平等性を訴える仕方です。本当の意味でそこにキリスト教信仰はないのだと思いますけれども、そうした巷の思想の中で私たちは「狭い」と言われる信仰を保持し続けるわけです。

 ですから、なまじっか神学や哲学を自分で学んだことのある人などが、改革派教会で役員になるのは難しい。一旦神学校へ入って再教育されるかしないと、本人も納得しない。むしろ、素朴にキリストに出会って、救いを信じて、謙遜に教会で学んだ人が恐るべき吸収力で教会のことを身につけて、役員になっているケースが多いように思います。

 もう一つ、今私たちが教会の中で直面している問題は、今のべた世俗的な思想の追い風の中で、献身の霊性を失いつつあるのではないか、ということです。牧師のことではなくて、むしろ信徒の霊性に関わる部分です。また他所の教派のことでもありません。改革派教会の霊性の特徴は、長老・執事たちの献身的な信仰の姿勢に最もよく現れていた、と私は思っています。そして、それを模範にして子どもたちは信仰を受け継ぎ、教会に関わってきた。牧師はどこへ行っても牧師でそんなに変わりがないのですけれども。

 もちろん、長老・執事だけではないのですが、信徒が熱心に奉仕をする。自分の家庭のことばかりを考えているのではなくて、教会に対する責任を果たそうと、嬉々として献金する。そういう姿を見て、求道者が育ち、契約の子が育ち、役員が育って教会を受け継いでいくのが、私たちが思い描いている教会像であり、教会論だと思うのですけれども、今は必ずしもそうではなくなっています。壮年・青年の世代の信徒たちは自分のことで精一杯です。ですから、私が江古田教会で見てきたこと聞いてきたことなどを証したりする機会がありますと、「ありえない」とか言われてしまいます。

 例えば、「10分の1献金」なんかはどうでしょうか。それを義務付けられた経験は私も無かったと思います。律法主義ではありませんので、献金は自由になされます。ですが、しなかったのではなくて、当たり前なので誰も言わなかったのではないか。おそらく、教会を支えてきた役員の方々からしますと、10分の1どころでは済まなかったのではないでしょうか。今の時代は「全収入の十分の一」などは、おそらく想定外ですね。受洗や加入のための準備会で、私は献金のことはかなり詳しく説明します。「十分の一」についても話します。けれども、もちろんそれが義務だとは言いません。それで、それを実践する人のも難しいのですが、言わなければ知らないままになってしまいます。

 こういうことに嘆いたり腹を立ててしまえばキリストの道から外れかねませんから注意が必要ですが、これまでの教会の歩みを振り返って、今どのような状況に至ったかはきちんと見ておかなくてはならないと思います。

評価すべき点

 これまでも「信仰の継承」は、いつも変わらないテーマであり続けて来ました。個々の教会において、また個々の家庭において、それがどうであったかと反省されるところがあるとは思いますが、教派として、大会・中会の取り組みとして評価しなければならない点もあるように思います。それは、青少年に対する教育の取り組みです。私自身も東部中会の高校生会や青年会、それから全国学生会などの修養会を通して育てていただきました。その働きが今、単に継続されているだけではなくて、90年代に入る頃から活性化してきているように思います。子どもたちや青年の数からすると減ってきてはいるものの、活動そのものの種類や回数などはむしろ増えているのではないかと思います。

 私が中会の修養会に参加するようになったのは高校生からです。今では中高生会となって、中学生から参加できるようになっています。また、西部中会では、中会で小学生のための夏期学校を行うようになって十数年が経ちます。それには各個教会の青少年が減少して独自にはそういう教室が開けなくなったという事情もありますが、この中会主催の修養会や夏期学校が、教会の子どもたちの継続的な教育の場となって、将来の担い手を育てていることは確実です。小学生の頃から夏期学校に通ってきた子どもが中高生会に出るようになり、学生会・青年会を経て、神学校に入学し、牧師になるまで繋がるようになりました。これは教会教育を重んじてきた私たちの教派の一つの成果ではないかと思います。もちろん不十分な点や失敗もあるのですけれども、今も若い教師たちが熱心に奉仕して青少年の信仰教育に励んでいます。教育ソフトの開発がまだ課題だとは思いますが。

 もう一つ触れておきたい大きな評価は、おそらく震災の経験によってもたらされたものです。まだ、結果は出ていないのですが、1995年の阪神淡路大震災から2011年の東日本大震災の経験によって、私たちの教派は「ディアコニー」という新たな視点に目を開かれました。「ディアコニーの神学」なるものはかねてから耳にしていましたが、それを積極的に採り入れるまでには関心が向けられてはいませんでした。もっとも、静岡盲人伝道センターや聖恵会の働きがあったわけですけれども。そうした慈善・福祉の働きは教会の歴史の初めからあったものですが、それが神学の課題に掲げられて、その意義が福音宣教の本質と合わせて語られるようになったのは新たな動きです。そして、震災の経験を通して私たちはそれを実地に学ぶ機会を得たわけです。

 教会の存在がその置かれた地域に対してどのように影響を及ぼし、キリストの福音への入り口となるかということの、注意深い、実践を合わせた考察が、個人レベルで、教会レベルで、また中会・大会というレベルで積極的に取り組まれるようになる、ということです。これまでの宣教活動はいわば宣伝であったわけです。福音宣教は言葉による伝達であるから、説教を聞くことから始まる教育が宣教の主な手段であるとの理解が、従来の宣教方針となっていたと思います。けれども、震災の経験を通して、私たちは困った状況に置かれた隣人に対する無償の愛の業が、たとえ口では何も言わなくても、そのままキリストの言葉として隣人に伝わることを学びました。それを実感したわけです。70周年の節目に当たって、未だ私たちは東日本大震災の影響の中にありますから、まだ「ディアコニー」への目覚めが教会全体をどう変えたかと考える以前の段階です。私もまだ十分に消化してはいません。神学校の吉田隆校長は、仙台での経験を背景に、そこに確信をもっておられるようです。

70周年を越えて

 伝道の不振や役員の減少に直面して、70周年を迎えた私たちには明るい展望がなかなか開けないようですけれども、明るいか暗いかは別にして、見通しを立てることは必要なことだと思います。「わからない」の一言で責任逃れをするわけにはいかないのではないか。未来の明るさというのは私たちの見立て次第というものではなくて、御言葉の約束の内にあるものですから、信仰の問題です。その上で、私たちは今から何が出来るか、何をするべきかを具体的に考えて、その行く末を問います。

 第一に、私たちには何も手立てがないどころではなくて、すでに豊かな遺産を受け継いでいることに改めて目を開くべきです。改革派教会の教理では「恩恵の手段」論というものがありました。もちろん今もあるのですけれども、昨今ではあまり言わなくなりました。「恩恵の手段」とは何かと言えば、御言葉と礼典と祈りです。どれも礼拝の重要な要素であることは変わりませんが、これらを「手段」と言わなくなったのは、それらにすがって恵みをいただく、という信仰のかたちが薄れてしまったからではないか。おそらく、昔は義務であるかのように指導されて、受け止められたのだと思います。しかし、そういう上からの押し付けは嫌われるようになって、義務は解消し、実践が後退した。そうして、聖書にも祈りにも、礼典にも習熟する機会を失って、それらから本当に恵みを受け取ることが無くなってしまったのではないか。だから、「恩恵の手段」などという実質を欠いた言葉を手放してしまったのではないかとも思います。私の憶測かも知れませんけれども。

 それはほんの一例ですが、私たち日本キリスト改革派教会は、戦後の教会として70年を歩んで来たのに過ぎない、まだ若い教会なのですけれども、「改革派」の看板はそこに受け継がれた歴史や伝統を表しています。教派の自覚からすると、我々はそこに接ぎ木された日本の教会です。ですから、歴史がない訳でも伝統がないわけでもなくて、プロテスタント教会の、カルヴァン主義の遺産を今に受け継いでいます。それが、なんとなく礼拝の形に残っているというような曖昧なものではなくて、教会の憲法として備わっているのが私たちの教会です。

 教会憲法は、もちろん完全なものではなくて、不十分な点は幾らもあるのですけれども、ウェストミンスター信条にしても、政治基準にしても、礼拝指針にしてもですね、膨大な経験知がそこにあります。現時点での私たちの問題は、この遺産を活かしきれていないことに収束してくると私は考えています。

 といいますのも、私が西神伝道所に赴任してから今に至るまで、一体何に心を砕いて伝道・牧会に従事しているかというと、職務規定を大事にしようと思っているわけです。牧師の職務規定というのは、政治基準にあります。また、教会からいただいた招聘状にそれに準じたものが加わりますけれども。当たり前じゃないか、と信徒の皆さんは言われるかも知れませんが、実に、当たり前ではないのが牧師の働きの実情じゃないかと私は思っています。例えば、「病者の訪問」と書いてあります。では、牧師がいつもそれに心配って、信徒さんのところへ訪問しているかというと、していないケースも沢山あるわけです。私も他人事ではないのですけれども。説教の準備にかまけて牧師館に篭っていたりします。それではいけないと思って、信徒の方の家へ出かけます。そうすると、そこに大きな慰めがあったり、教会がそれで励まされたりするのを実感します。牧師が当たり前のことを当たり前のようにすれば、教会は元気がでるんだ、ということを私はこれまで体験しました。それでも行き詰まることがあるのだろうと思いますが、試練は天からの賜物ですので、しかし、まずはそこからと、私はいつも教会のことを考えます。やってないじゃないかと責めるつもりではなくて、やればできるのにと言うことを悩んでいる牧師に言いたい。

 他方、信徒の側で言いますと、長老主義教会の伝統、もしくはプロテスタンティズムですが、それが意味するのは、信徒一人一人の自由と権利です。誰もが直接キリストに近づくことができる。だから、一人一人がキリストに召された弟子として、平等な教会員として教会に連なります。牧師や長老や執事という役職がある。だから平等ではないではないかというのは誤りで、それらは奉仕をするための役職で、キリストの名の故に尊ばれなければなりませんが、同じ信徒です。プロテスタント教会には聖職はない。カトリックに対抗して、そういう教会を作ったわけですね。ですから、そういう信仰が私たちには本来受け継がれています。

 教会の実際で言いますと、「一信徒として自立する」という目標は、かなり高いレベルを求めることになる。教会に逃れてくるわけですね、求道者の方は。逃れ場を求めて来て誰かにともかく頼りたい。人間ではダメだから神に、というのでしょう。そこへきて「自立せよ」なんてと言われるととても耐えられない。それで、そういう原理はもはや語られなくなる。プロテスタントの信仰が揺らいでくるわけです。近年、長老派・改革派の教会からカトリック教会へ転会する信徒が増えているのはそういう理由ではないかなとも考えます。カトリックの信徒は、自分の信仰を教会にお任せできますから、楽といえば楽です。

 伝道・牧会の現場では、実際には慎重に、個別に対応します。その人の今ある求めを聞いて、まずは福音に触れていただくことから始めます。しかし、やがて福音に目覚めて、救われたことの確信が与えられれば、「自立する」という意味もわかります。その導きを丁寧にすることなくして、長老主義教会は維持できないと思います。

 私が務める教会は最近伝道所から教会になったわけですが、他教派から移って来られた方が多いのが特長です。そして、今でも新来会者の殆どが他教会の会員です。未信者からの求道者が来てくれないのが残念ですが。そこで加入して来られる方と接していて気付くのは、多くの方が、もちろん皆ではありませんけれども、前の教会に躓いて来ます。何か問題があって、別の教会を探してくるわけです。それで、転々と教会をさまよう方もあるのですが、そういう方は大抵自分に問題があるのに気がつかなかったりします。しかし、私たちの教会に来て落ち着く人は、何が良いのかと聞きますと、『教会規定』があることだと言います。始めからその本を持っているわけではないのですが、つまり、私たちの教会には制度として様々な問題を解決する手立てが前もって備わっているわけです。法が機能しているわけですね。では、他の多くの教会ではそうではないのかと言いますと、カトリックや聖公会は我々と同じような制度的な教会ですが、福音派の多くの教会や単立教会などは教会法を持っていません。むしろ、そういうものがない自由が売り物ですから、初めからないわけです。そういう教会は本当のキリスト教会ではないなどという了見の狭いことを私たちは言いませんけれども、規則のない教会は、一旦そこで人間的な問題が起こったりしますと、人間的にこじれて修復不可能になったりします。それはそうで、規則がありませんから、声の大きい人の主張が通ります。そこで、不当な扱いを受けたと感じた人は、教会から出て行ってしまいます。ところが、私たちには『教会規定』があります。そこにいちいち、牧師とは何か、長老とは何か、執事とは何か、信徒とは何か、教会とは何か、礼拝とは何か、といちいち説明があって、取り決められているわけです。なんでも自由がいいという人は、つまり、自分の思う通りでないと気が済まない人は、きっとこれに躓くだろうと思いますが、物事をきちんと自分で理解したいと思って悩んできた人にとっては、『教会規定』が救いになります。私たちは、これがあって当たり前だと思っているので、有り難がるどころか、煙たがることがあるかも知れませんが、こういうものがない教会で苦労してみれば、これが大変価値のあるものだとわかります。

 『教会規定』というのは、キリスト教会と国家とのせめぎ合いの中で、キリスト教社会を築き上げていく歴史を通ってきた、教会の知恵です。もちろん、聖書の教えに照らし合わせて決められてきたものですから、教理とも密接に結びついています。聖書の真理が教会を作り上げるのであって、人間が教会を作るのではない、という信仰によって、教会をキリストの教会に相応しく秩序づけるための制度が、長老派・改革派の伝統として受け継がれてきました。聖書を神の言葉と信じ、その言葉に聞き続けるところに教会が立つ、とプロテスタントの多くの教会は信じているのではないかと思います。では、その実質はどこにあるのかと問うてみれば、案外、それぞれが思い思いに聖書を読んだところを勝手に解釈して、自分好みの教会を作っているのが現状であったりします。そういうものが教派の特徴となっています。私たちは、そこで、聖書に従うということを丁寧に吟味して、その適用について時間をかけて協議して、それを教会のかたちにして今日に至ります。そうし続けて、御言葉によって改革し続ける教会であり続けるわけです。

 制度的教会を保つ、というのは信用の問題にもなります。宗教は内側が見えませんから、とかく地域の人々からは胡散臭く見られる可能性があります。教会はそうではないと思いたいところですが、私たちにしても他の宗教については怪しいと思っていたりします。メディアにしても宗教は扱いづらい素材です。歴史とか思想とか、知的なものとしては教養のためになりますけれども、その生活実態ですとか教義のようなものには触れないのがマスコミの原則だと思います。それだから一般世間には知られないままです。

 キリスト教会もまた罪ある人間の集まりですから、失敗を犯す、スキャンダルも起こします。それはどんな教派であっても避け難いことです。問題は、それが起こった時にどのように対処するかです。私たちには教会戒規というものがある。それで教会内の問題は、教会の内部で解決する手はずが整っている。一般の刑法に違反するような犯罪であれば、巷の裁判所に持ち込まれますけれども、教会内の霊的な秩序については信仰に基づく判断が下せます。

 こうしたことは、対外的にも信用を得る手立てになります。「愛」の一言でなんでも片がつくと思っていると、教会でひどく傷つけられて、信仰さえ失う場合も出てきます。

 私たちは、戦後70年かけてこうしたことを学んできたわけです。始めからすべてが備わっていたのでも、すべてを理解していたのではありません。主に米国の教会や宣教師を通じてですけれども、「リフォームド」「プレスビテリアン」の伝統を伝授してもらって、それをなんとか形にしようと努力して今日に至ります。そして、政治基準についても礼拝指針についても、今私たちが持っているのは翻訳に毛が生えた程度の内容なのでして、これからまたその背景にある歴史や神学を丁寧に学んでいかなくてはなりません。

 そうした面からしても、私たちの教派にはプロが必要とされます。教会の学問についての様々な領域での専門家が求められます。今までのところ、私たちはほぼ行き当たりばったりであったようにも思われます。鈴木雅明先生のような世界的に通用する音楽家が出たわけですね。でもそういうプロを生み出すための努力を特別にしたかどうかは疑問です。音楽の分野で言えば、例えば、鈴木先生はオルガニストの養成は教会の仕事ではないかと常々言って来られたわけです。けれども、芸大で生徒を募ってみると、改革派からは今まで一人も来ない。息子さんは別にしてですが。大抵は教団の出身者ばかりだといいます。もう改革派を見捨てて他所へ移ってしまうのではないかと内心ビクビクしていたのですが、アメリカへ行かれましたね。イェール大学に呼ばれてそこで教授なさっている。教派を出るつもりはなさそうです。

 プロフェッショナルを生み出す教会とはカルヴィニズムの神学から来るヴィジョンですから、キリスト者の職業観としてもお話できますが、今日の関心は70年以降の教会建設です。その点でのプロフェッショナルということに絞れば、神学の専門家になるでしょう。もっとも、長老方の専門的な賜物が教会の随所でよく用いられるということは、先の鈴木先生のように、あり得ることですが。改革派教会の教師で博士号を取ったのは、三野先生と吉田隆先生の二人だけですね。あまりにも寂しすぎます。もっとも長老たちの中には大学の先生がずいぶんおられますが。

 今お話した一連のつながりは、すべて対内的な方向性です。大胆に外へ出て行って伝道しなければ、というヴィジョンではありません。しかし、私はそれがこれから重要なのだと思っています。継承すべき遺産を改めて磨きなおし、さらにそれを発展させるための土台作りです。その上に改革派教会の未来があると考えます。今は足場が揺らいでいる、というのが私の現状認識です。

地球市民として生きるキリスト者の自覚

 ただ、対外的なことは後回しでよいとも考えていません。戦後70年を経て私たちが今立っている地点は、対外的な関係の中で、すなわち、世界と日本の社会的な文脈において、キリスト者であることが問われるポイントなのだと思います。教会が存続を賭けて直面している危機は、世界がその生存を賭けて直面している問題でもあります。

 社会問題に対して教会がいかに取り組むか、という問題は、教会と国家の問題を通して私たちは学んできました。「30周年宣言」や『教会と国家に関する問答集』などは私たちが自前で用意することのできた、この面での教科書になります。キリストは教会には教会の霊的な統治による独自の領域を設けておられますが、政治や学問、芸術や産業などのあらゆる領域で神であられます。これがカルヴィニズムの信仰ですね。ですから、宗教以外の領域を教会は自らの支配下に置こうとはしてはなりませんが、それぞれの領域に遣わされた信徒は、その領域で神の栄光を求めて力を発揮します。教会から離れた場所ではキリスト者はキリスト者でなくなるわけではない。キリスト者として種々の領域で働きます。その働きがすべて証になります。だから、例えば鈴木雅明先生は、音楽家であるわけです。音楽の専門家として、その働きを通じて、神の栄光を表すことを目的としている。「音楽伝道」を志すのとは道が違います。音楽そのものを極めることで、それを神に捧げる、という献身の仕方です。

 同じように、例えば、エネルギー問題について考えれば、キリスト者としてその専門職にある者が、どういう選択をし、その仕事を神にささげるかが問われるわけです。「原子力」が戦後のエネルギー開発の最先端をゆくようになった。クリーンなエネルギーだと言われて、日本は世界に率先して原発推進国となり、現在に至るまで全国に50基を有するようになりました。しかし、もともと兵器として開発された核エネルギーの扱いは極めて慎重になされねばならないものの、産業を推し進めるためにその危険性は隠蔽され、安全性の確保や廃棄物の保管の仕方などの問題は解決されないまま持ち越されてきました。そして、福島原発の事故が起こり、原発神話は一気に崩壊しました。原子力エネルギーの開発は、政治と利権の問題であって、クリーンなエネレルギーを求めるなどというのはイメージ戦略に過ぎなかったわけです。今でも米国では、石油の利権を確保しようとする企業と政治家のグループと、「温暖化」を理由に原子力ムラの利権を確保しようとするグループとがしのぎを削っている。そんな中に身を置いた時、キリスト者ならどう考えるのか。キリスト者としてエネルギー開発に実際に関わるならば、どのような判断をして、働きかけるのか。そういうことが個々の信仰の問題として問われてくる。翻って、そこには教会の判断も働くわけです。

 そこで声明なども出されます。原発の問題に対して2012年に大会の「宣教と社会問題委員会」から声明が出されました。けれども、教会の中には推進派の意見の方もおられますね。先日も「まじわり」誌に投稿しておられましたけれども。そういうものを読みながら、私たちはキリスト者としてどうか、ということを考えなくてはならない。

 あるいは、歴史認識の問題がある。神道系の結社である「日本会議」がどうやら強い影響力をもって働いてきたようですけれども、戦後の日本の歴史観を修正するために、特に教育の面で働きかけてきたわけです。それで、戦争を知らないで育った世代に、日本の侵略戦争はなかった、日本の英霊たちは天皇の国家のために尊い命を捧げてきたが故に日本の平和が築かれた、というポジティブなナショナリズムを植え付ける努力をしてきています。靖国闘争を経験してきた私たちの教会には、戦後教育が掲げてきた立憲主義や平和主義の思想と、戦争の加害者としての記憶を保持しながら、悔い改めの道として平和な国家の建設という目標があったはずです。「創立宣言」にも明記されているわけですから。けれども、一般の学校教育からその根底が崩されようとしている中で、教会の内に私たちが保ってきた歴史観も平和主義も覆されようとしている。次の世代の子どもたちは、日本は正しい戦争をした、悪いのは中国だ、朝鮮だ、などという知識を刷り込まれて、近隣アジア諸国に対する嫌悪感を当たり前のように身につけてしまう可能性があります。キリスト者として私たちはそこに何を見るのか。どのように日本の歴史を反省し、今後、どのように近隣諸国の兄弟姉妹たちと平和に向けての関係を築くことができるのか。そこに、信仰の論理がどう働くのか、ということをやはり教会は自覚していなければならないのだと思います。

 他のキリスト教国だって軍隊を持っているではないか。だから、聖書は必ずしも再軍備に反対しないはずだ、などという憶測で、信仰は測ることはできません。キリスト教国であっても政治は信仰を裏切ります。イラクに兵士たちを送り出すために、神の祝福を送った牧師たちが、キリストの働きをしたはずがありません。この世の力に阿って、サタンに信仰を利用されたという他はありません。そういう事態を、私たちは見抜く信仰の目が必要です。

 原発にしろ、再軍備にしろ、現在の国際情勢に働くモーメントはマモンの力です。あからさまな金の力が、言葉の嘘を隠れ蓑にして、全世界から収奪を行っているのが現実です。政治家だとか、大企業のトップとかの発言に、良心だとか善意だとかは殆ど期待できなくなりました。そういうものは愚かだというエリートたちの開き直った価値観が世の中を動かしているように思います。注意していないと教会もそうなります。

対外教会との関係を再確認する

 RCJはこれまで米国の教会を中心に、海外の改革派教会と宣教協力を結んで来ました。もともと、南長老教会やCRC、OPCの力を借りて、教派形成もしてきたわけです。今では関係も他の諸国に広がって、お隣の韓国の長老教会や南アフリカの教会とも姉妹関係を持つようになりました。これらの関係を、これからも大切にすることで、私たちは「援助」されるばかりではなく、多くを学んで成長できると考えています。その場合に、相手から私たちに望まれることは、私たちがそれらの教会に依存することではなくて、対等に協力関係を築くことのできるパートナーとなることではないかと考えます。そのためには私たちの自己理解が明確でないとならないわけですね。自立するということは、献金をもういただかない、ということではないんだと思います。必要ならば私たちだって援助します。また、必要な時には援助に甘えます。けれども、無責任な追従関係を教会間に作りたくありません。それが望まれているとも思っていません。

 今回、女性長老・教職を合憲とする解釈を大会は承認しました。それに対して、CRCもOPCも反対していました。ICRCという改革派教会の国際会議がありますけれども、そのメンバーになっている諸教会も概ね反対です。ですから、これでRCJはICRCには入れなくなったのだと思います。けれども、これまでお世話になったからゲタを預けておく、ということが、求められているのではないと思います。私たちは、私たちで回答を出した。それで一致できないのは残念だけれども、その上で協力関係が築かれることを望む、ということで、対等な姉妹関係になれば、十分に納得のいくことだと思います。

 ここで私が期待するのは、さらに踏み込んだ関係です。おそらく、これまで海外の諸教会とは政治の領域にまで踏み込んだ話し合いをしたことはない。互いの立場はそれとして、宣教の領域に限って協力関係を結んできたのだと思います。でも、個人的には、例えばS先生はブッシュの共和党支持だったなどと聞いたことがあります。同時に、米国の軍備に関しては教会としての見解もお持ちではないかと思うわけです。でも、良好な関係を維持するために、政治の話はしないできた。しかし、私は、今後もそれでいけるか、と考えます。原発の問題、戦争の問題、経済の問題などのグローバルな課題についてもまた、話し合うような場を作ることはできないだろうか。

 国際会議の場としては、WCRCやWCCのような、より広い世界宣教会議があります。WCRCはより広い改革派の会議ですが、WCCの場合は、「キリスト教」ならばなんでもありです。しかし、そのような場では、地球規模で問題になっているような課題が、議論されている。私たちは今、そういう議論のできる場をもっていないわけです。精々、大会の委員会の報告を聞いたり、声明を支持したりするだけです。もっと積極的に関わる場を設けて、世界の文脈の中にあるRCJの位置付けを明確にしたい。そういう自立をやはり目指すべきではないかと考えます。

 関係作りにおいては、留学生を様々な方面に送ることが有益です。このところ、カルヴィン神学校に留学する教師が続きましたが、CRCの総本山とも言えるそこに出かけることは、その教会の霊性と神学とを深く理解して、今後も良好な関係を築くのに役立ちます。個々人のつながりなくして、教派の姉妹関係も深まりません。私が出かけた頃は、できるだけ米国でないところへ行きたいなどと話していたのですが、それは学ぶ分野にもよりますが、カルヴィン神学校はカルヴィン大学と同じキャンパスにあって、教授陣もカリキュラムも充実していますし、図書館もまた優れています。今は望月信先生が御家族で行っていますね。英語が片言でも果敢に話しかけるのが先生の取り組み方だと、この間帰ってきた吉岡先生が話していました。

 今年の末に、大西良嗣先生が南アフリカに留学します。旧約聖書の研究のために、関係教会を頼って、南アフリカの神学校に家族で出掛けます。3年の予定だとのことですが、南アフリカは旧約聖書の研究では定評があります。特に言語に強い先生がいますので良い選択だと思います。また、今、南アフリカからはファンデアヴァット先生が四国で奉仕されていて、四国・西部ではだいぶ馴染んできています。ですから、今後の南アフリカ教会との関係作りにも大西先生は貢献されると思います。

 私たちと同じくらいの会員規模をもつ「日本ホーリネス教団」では、常時10名くらいの留学生を教派から送り出していると聞いたことがあります。実際にどうか調べてはいませんが、私たちの教派は2名ぐらいですね。神学校から出る奨学金にしても年間60万円程度です。神学、神学、と言いながら、私たちはどれほど学問や教育に熱心なのか本当のところが問われます。神学校の経営が大変なのも事実ですが。問題は教派としての心算ですね。勉強していない牧師の説教でみな満足している、ということでしょうか。

グローバリズムの中で問われる倫理

 女性長老・女性教師の登場によって、海外の教会との宣教協力関係が変わるかもしれない、という話をしましたが、私たちの方ではもちろん積極的に進めたいわけですが、今後、それで私たちの方にも波及してくる問題もあります。まず、女性長老・教師については、RCJは経験がありません。PCUSとかですと、代表の議員が神学校を訪れたりして、話をする機会もあるのですけれども、私たちの教会では殆ど未経験です。女性の権利の回復は世界的な動きですけれども、まずは私たちがそれに慣れなくてはならない。信仰の妨げにはならないと頭では理解してもですね、まだ体が男尊女卑から逃れられなかったりします。ここはどうしても時間がかかると思います。この辺りが世界のグローバルな動きから教会の倫理が問われる点です。

 そして、続いて、LGBTの問題が始まるはずです。改革派教会が保守的なのは「全生活領域における神の栄光を求める」という信仰から来ます。聖書を神の言葉と信じて、それを生活に適用させるのに熱心であるわけです。それだけに、家庭生活や社会生活を「自由」に放っておきはしません。しかし、律法主義ではありませんから、聖書から原理を学ぶけれども適用には幅があります。そこで、女性の立場についても変化を認めることができるわけです。欧米では既に大きく争われていますが、今後は私たちも男女の性の違いばかりではなく、ゲイやレズビアンの権利、という問題にも向き合うことになります。日本でも既に『福音と世界』などの雑誌では、カミングアウトした牧師の手記や、性の超越を試みる神学的考察などが以前から発表されています。女性の問題と同じく、それに取り組まないでいることは抑圧とみなされますから、私たちは中立を保つために問題に触れないでいるわけには行きません。じっとしていれば、私たちは加害者と世間からは見られます。ですから、もうこれは正面から勉強する他はありません。私もまだ、ちゃんと手をつけていない領域です。

 そして、宣教と倫理に関わる問題として、他宗教との関わり方について私たちは無配慮でおれないと思います。今はキリスト教人口が世界の宗教人口ではトップですけれども、まもなくイスラム教に追い抜かれます。また、世界各地での過激なテロリズムによるイスラム教への偏見を無くす努力もあって、イスラームに対する一般的な理解も進みつつあります。彼らの食事制限に配慮したり、礼拝所を空港に設けたりと、私たちの周囲の環境も変わりつつあります。そういう中で、キリスト教が独善的にイスラーム他の宗教を「異教」として、また「偶像崇拝者」として、嫌悪感に取り付かれないように、適切な理解と倫理観を持たねばならないと思います。

 異なる宗教を受け入れる素地は日本にあるかもしれません。八百万の神はなんでもよしとしますから、イスラームが慎ましくしているのならば、それも良しと寛容に受け止めてくれるでしょう。キリスト教がそうであるように。けれども、「正しい神」を声高に主張すれば、周囲の圧力がかかるでしょう。私たちも全く同じです。なんでも良い、としてしまえば、日本の宗教に教会は飲み込まれてしまいます。けれども、「正しい神」を主張すれば、衝突が生まれます。そういうバランスを考えて、私たちは多くの宗教と今後も触れ合っていかねばなりません。ですから、教会の信仰としては、私たちは純潔を守るつもりがなければ、キリスト者ではおれないと思います。しかし、だからと言って、別の宗教を持っている人とお付き合いしないというふうでは、私たちは社会の中で孤立します。ここで私たちは、主イエスの言葉を思い起こします。私があなたがたを遣わすのは、狼の群れに羊を送るようなものだ、と言われました(マタイ10章16節)。狼の群れに渡してはならないから、あなたたちだけ安全に囲っておく、ではないわけです。ですから、私たちは信仰の異なる人々のいる社会の中へ、主よって積極的に送り込まれるのだと受け止めた方がいい。パウロたちが宣教して行った状況もそうでしたね。ですから、私たちは宗教の異なる人々と平和な関係を築く倫理を持つことが大切です。宗教の違いで喧嘩をしない。むしろ、協力してそれぞれの信仰と平和な暮らしを実現する方策を考える。それを偉い人に任せるのではなくて、私たちの生活レベルで実践することが大切と考えます。教会も、だから、イスラームはテロリストだ、なんて言葉に惑わされてはいけない。むしろ、イスラム教徒と交わりをもって、彼らの信仰や生活感覚に、まずは慣れる必要もあると思います。およそどの宗教も、歴史をもって洗練されているものならばですけれども、愛や平和や善などの普遍的な価値は信じています。ですから、それを互いに認め合って、それを梃子に互いの内にある暴力を抑えるために、諌め合うような関係づくりが大切かと思います。

終わりに-二つの結論

 講演のまとめとして、70年を超えて私たちが目指すところとして二つの結論を述べておきます。それは決して新しい方向性ではありません。むしろ、教会がこれからも忘れてはならない基本姿勢であって、キリストに従う道にあることです。

 第一に目を止めるべきものは、キリストの福音がどこに着地し実を結ぶのか、という根本的な視点です。それは、福音を聞いて悔い改める個々人ですね。求道者です。新しい来会者です。親しい間柄にあって聖書の話をしている誰かです。そこに聖霊の働きをいつも感じていることを忘れないでいること。世界を席巻するグローバルな金の動きに波長を合わせないこと。むしろそれに抵抗する地盤として、それぞれの地域に派遣されたキリストの教会であることに徹すること。米国や韓国の教会を見て、リバイバルなんか夢見る必要はないわけです。きらびやかな教会堂に憧れる必要もないわけです。キリストの言葉が教会員一人一人に生き生きと働いて、そこに証があって、地域の隣人にとってもそこが魂の憩いのみぎわになっていればそれで十分です。それを本当に求めること。適当で満足しないこと。そのために、まっとうな説教者が必要ですし、み言葉を学ぶ機会が必要ですし、土台のしっかりした制度的な教会が必要です。あとは宣教の業はすべて神の御計画の中にあるのですから、私たちの思うようにはならないとわきまえるべきです。

 第二に、私たちの教会は「創立宣言」において、戦後の自由で平和な社会は、私たちの教会の信仰にかかっていると宣言しました。有神的人生観世界観こそが新しい日本の基礎となるんだと信じた人たちがこの教派を立ち上げたんですね。「有神的人生観・世界観」という標語を大事にするのではなくて、その内実です。神があってこそ私たちの人生がある。神があってこそ世界があり、この日本もある。その順序を間違えないということです。今自民党政府は憲法を変えて、天皇があってこそ国民があるとしたい。そうして、人民を思い通りにコントロールする方法を本気で考えている人々がいるわけです。これは陰謀論ではなくて、あからさまな差別意識、開き直った我欲です。そういう人々が利害を一致させて、日本を悪くしようとしています。つまり、この国がどうなっても本当のところは構わないんですね。滅びるのならしょうがないと投げている。ダメだったら外国に逃げようと本音では思っていて、そのための資金を確保しようと頑張っている。東電の偉い人はそうしたでしょう?日本にはもう住んでいないんですから。そんな人々が日本を動かしている。

 私たちはそれが時代なんだからしようがない、と、この70年を節目に、あきらめてしまうわけにはいかないでしょう、と言いたいのです。あきらめるほど力をつくしてしまったわけではないと思います。教会のことにしてもやることは山ほどあるわけです。礼拝と伝道に生きる、生活のリズムは変わらない。そして、戦後の悔い改めの中で聞いた、神の言葉も変わらないはずです。今日はゼカリヤ書の言葉を聞きました。そこにあった約束の言葉はこうでした。もう一度読みます。

 あなたたちは、かつて諸国の間で呪いとなったが/今やわたしが救い出すので/あなたたちは祝福となる。恐れてはならない。勇気を出すがよい。(13節)

 あなたたちのなすべきことは次のとおりである。互いに真実を語り合え。城門では真実と正義に基づき/平和をもたらす裁きをせよ。(16節)

  あなたたちは真実と平和を愛さねばならない。(19節)

私たちは日本の祝福として戦後に建てられた教会です。そして、私たちに命じられているのは、正義と真実をもって語り合うことです。そして、真実と平和を愛し、それを世の中に実現することです。この約束の言葉を手にして、人生のあらゆる領域で神の栄光を表し、世界の隅々に及んでそれを輝かすために、私たち一人一人は、今の時代に生かされている。神が実現してくださる、平和な日本の社会がある。それを私たちはまだ、見ていないのではないでしょうか。『創立宣言』の幻を、ここで投げ捨ててしまうのは、私たちの不信仰だと思います。70年を経た改革派教会の歩みが、これからきっと日本社会にとって希望のしるしとなることを願って、来年の70周年を迎えたいと思います。

祈り

すべてを支配しておられる主イエス・キリストの父なる御神、あなたの御旨を思わずして、明日の教会を憂う私たちの弱さをお許しください。どうか、聖霊によって私たちの思いを明るく照らし、御言葉に示されたあなたの約束をどこまでも信じて、真理と正義を求め、キリストの救いを世に表すことができるように、私たちを御遣わしください。まもなく、創立70周年を迎えようとしている私たちの教会を、どうぞまた新たに主にあって召し上げてくださり、主に従う喜びに浸してくださいますようお願いします。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。